2006年 08月 29日 ( 2 )

『下山事件(シモヤマ・ケース)』(森達也・著、新潮社)

ずいぶん前に買っておいた本だったが、昨日何気なく手にとって二日間で一気に読んでしまった。それくらい面白い本だった。面白さの要素はいろいろとあるけれど、推理小説的な謎解きの面白さも感じた。その部分はこれから読むかも知れない人に種明かしをするのは面白さを半減させてしまうだろうと思うので、この本の内容についてはあまり触れないことにする。

この本の内容以外の面で強く引きつけられたところを感想として記しておこうと思う。同じような面白さを感じた人に出会えたら嬉しいと思う。

まずは著者の森さんの人間的な魅力について感じたことを。森さんというのは、とても親しみを感じる人だ。宮台氏のように天才的な輝きを感じるという部分はない。だが、そのおかげで雲の上の遠くに住んでいる人間というような距離感を感じることなく、自分と同じように感じ・同じように考えて対話が出来る仲間のような親しみを感じる。

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by ksyuumei | 2006-08-29 16:56 | 読書

差別とバッシングのバックラッシュの論理、あるいは感情のロジック

内田樹さんの『私家版・ユダヤ文化論』では、それが不当であるにもかかわらず現実に発生しているユダヤ人への迫害というものを論じている。それが不当なものであることはほとんど全ての人が同意する。迫害をする人々の根拠となっている論理は、論理として間違っているのだ。しかし、たとえ論理として間違っていようと、感情では差別・バッシングをせずにはいられないと言うものがある。それはなぜかと言うことの解答を求めているのがこの本のテーマだ。

これが、迫害する人間が邪悪だからだという単純な理解が正しいのなら、その邪悪さを非難してそれがいかに間違っているかを理解すればこの迫害は終わるはずだ。しかし、人々がそのような理屈としての理解をしてもその迫害は終わらない。これは不当な差別がいけないことだと頭で理解しても、現実の差別が社会からなくならないという構造とよく似ている。

個人としての判断と社会の現象とが食い違うというのはよくあることだ。板倉聖宣さんは、この食い違いの認識から社会科学への探求が始まると言っていた。肉体的な目でいくら眺めても社会は見えてこない。ノーミソの目で眺めるとき、抽象された姿としての社会がようやく見えてくる。

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by ksyuumei | 2006-08-29 09:33 | 雑文