2006年 08月 22日 ( 3 )

教育者としてのリスペクトを感じる内田樹さん

もう一人、僕が強いリスペクト(尊敬)を感じる学者に内田樹さんがいる。内田さんに感じるリスペクト感は、宮台氏と仲正さんに感じるものとはちょっと違う。宮台・仲正両氏については、あくまでも学者としての面にリスペクトを感じるのだが、内田さんには教育者としての面にもリスペクトを感じている。

宮台・仲正両氏の文章は、読者に対する敷居がやや高いのを感じる。普通の言葉ではなく専門用語で多く語られているのが原因かも知れない。理解するのに困難を感じる場合がしばしばだ。しかし、両者に対するリスペクト感から、何とか努力しようと言うモチベーションも生まれてくる。それがなかったらすぐに放り出してしまうかも知れないような難解さをもっている。

内田さんは、この二人と違って、読者に優しい書き方をするというイメージが僕にはある。内田さんとの最初の出会いが『寝ながら学べる構造主義』という新書だったことが原因しているかも知れないが、この本は、僕にとっては「構造主義」というものが初めて分かったと思わせてくれた本だった。

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by ksyuumei | 2006-08-22 21:44 | 内田樹

仲正さんの北田暁大氏批判 2

僕は宮台真司氏を一流の学者としてリスペクトしているが、同じようにリスペクトの対象にしている人に仲正昌樹さんがいる。個人的な好みとしては、仲正さんの方に親近感を感じる。

宮台氏は、あまりにも正統派のヒーロー過ぎて、その欠点や弱点が見つからず、ある意味では雲の上の存在のようにも感じてしまう。それに比べると、やや不器用さを感じる仲正さんは、その欠点や弱点ゆえに心情的な共感も感じる。宮台氏に関しては、あくまでも客観的な判断による、その能力の凄さに感嘆したリスペクト感だったが、仲正さんの場合は、心情的にも何か贔屓を感じるようなリスペクト感を持っている。

その仲正さんの北田氏批判を客観的・論理的に理解するのはなかなか難しい面があるのを感じるが、特に批判の一面に絞って論理的な整合性を考えてみようと思う。批判の一面というのは、<大したことでもないことを大げさに捉えている、それは的はずれだ>というものだ。仲正さんの言葉で言えば「「どうでもいいおしゃべりしてますね」ですむ話」と語られている。この判断が正しいかどうかを考えてみたい。

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by ksyuumei | 2006-08-22 12:39 | 雑文

数学における文章理解

数学の本の読み方は、他の分野の本の読み方と違う、かなり特殊性を感じるところがある。数学というのは、その内容においては誰が考えても同じ結論に達するものとして考えられる。つまり内容的な個性はないと言える。個性があるとしたら、その書き方と言うことにある。どのように対象に近づいていくかという方法の違いがあるだけのように感じる。

僕は学生の頃数学を勉強するときは、その入門書を片っ端から探してきて、その冒頭の部分を次々と読んでいった。だいたい50冊くらいに目を通すことが多かっただろうか。その中で、対象へのアプローチの仕方がぴったりと自分の理解力に合うものが見つかると、その入門書を徹底して読むという勉強の仕方をしていた。

内容的にはどれを読んでも同じだから、表現として自分の個性にぴったり合うものを見つけることが大事なことだった。やがてはそれは記号論理学的な表現に出来るものが自分の個性に合うものになり、普通の日本語で記述されているものを記号論理の表現に翻訳しながら読むようになった。その翻訳がやりやすい書き方になっているものが自分の好みに合うものになっていったと言えるだろうか。

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by ksyuumei | 2006-08-22 10:03 | 雑文