2006年 07月 19日 ( 1 )

究極的な存在の考察

観念論の再評価のために『カント入門』(石川文康・著、ちくま新書)を読んでいるのだが、その中に興味深い記述があった。それは「空間・時間は主観的なもの」という中見出しで語られていることだ。

我々は、具体的に存在するものは、物質として客観的に存在すると受け取っている。それはいくつかの実践によって確かめられ、かなり信憑性の高いものとして考えられている。そして、その延長として、存在を抽象した「空間」という存在に対してもその客観的存在をそのまま信じているところがある。

「空間」というものが存在するから、その中で特別な位置を占める具体的な物質が存在出来ると論理的に把握しているように感じる。しかし、言葉として「空間」というものを考えてみると、これがなかなか難しいものだとも感じる。「空間」というのは、物質が占める場のことを意味するのだが、そこに他の物質が存在していれば、もはやその空間には同時に他の物質は存在出来ない。つまり、「空間」というのは、物質が存在していない場所として、ある種のすき間としてしか存在出来ない。

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by ksyuumei | 2006-07-19 09:50 | 唯物論・観念論