2006年 05月 08日 ( 1 )

国家権力の暴走に対する「恐れ」の感覚

昨日は「人権感覚」というものを身につけることの難しさを考えたが、日本においては国家権力に対する感覚を磨くこともたいへん難しいものになっているように思われる。自由や民主主義を、国家権力との戦いによって勝ち取ってきた西欧なら、国家権力はよく監視していないと暴走するという感覚は普通のものだと思われる。しかし、日本では、水戸黄門に代表されるように、「お上」は正しい判断で民を救うものというイメージがあるせいだろうか、国家権力が暴走するという恐れよりも、正しい判断をお願いするという意識の方が強いのを感じる。

死刑廃止論の抽象論の前提としては、死刑制度というような強大な権力を、その時の統治権力に与えることの恐れの感覚がある。統治権力が民衆のことを配慮して、その時のもっとも望ましい判断を常にしていると考えるのは幻想だ。むしろ、その時の利権が大きく影響して、もっとも強い力を持っているものに対して、その利益を誘導するような判断をするものだという理解が正しいと思う。

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by ksyuumei | 2006-05-08 09:55 | 社会