2006年 05月 07日 ( 2 )

「人権」について考える(続き)

さて、「人権」についてもう一つ大事なことが中山さんの本には書かれているので、それを考えてみたいと思う。それは「人権感覚」と呼ばれるものだ。「人権」というものを、その歴史的な成立過程を理解することで、人間であれば誰でも持っている当然の権利だと言うことを、その「正しさ」から導くことが出来た。

「自由権」「参政権」「生存権」「社会権」などというものが正しいというのは、入れ替え可能性というものを想定することによって得られるのではないかと思う。もし、この諸権利が、「人権」として保障されていなかったとしたら、自分は、その権利を持たない状態にいたとして納得出来るだろうか。

この諸権利を自分が持っていなかったら、社会生活を営む上で大きなハンディを持つことになるだろう。そのハンディは、ある種の条件の下であれば仕方がないとあきらめることの出来るハンディだろうか。これは、普通の状況であれば、ハンディを持たせることが不当になるだろう。このハンディを許さないという感覚が、人間が当然持っているはずの「人権」というものの感覚になるのではないだろうか。

More
[PR]
by ksyuumei | 2006-05-07 18:06 | 社会

「人権」について考える

死刑廃止の問題を考えるとき、「人権」というものが大きく関わってくる。死刑に反対することは、加害者の人権を守ることにはなるが、被害者の人権を無視しているのではないかという疑問が提出されることがあるからだ。このことに関しては、宮台真司氏なども的はずれな意見だと指摘していたが、中山千夏さんの『ヒットラーでも死刑にしないの?』という本では、この「人権」について詳しく論じている。

「人権」というのは、辞書を引くと「人間が人間として当然に持っている権利」と書かれている。これは、分かったようで分からない定義だ。これは、同語反復のようにも見えるので分からない感じがする。「人権は人権だ」と言っているような感じがしてしまう。何を当然と考えればいいのかが分からないと、この定義は分からない。「人権」の内容をもっと具体的に考えるには、「基本的人権」という言葉を見た方がいいかも知れない。これは辞書によれば


「人間が人間として当然もっている基本的な権利。近代初頭では、国家権力によっても制限されえない思想・信教の自由などの自由権を意味したが、二〇世紀になって、自由権を現実に保障するための参政権を、さらに国民がその生活を保障される生存権などの社会権をも含めていう場合が多い。日本国憲法は、侵すことのできない永久の権利としてこれを保障している。人権。基本権。」

More
[PR]
by ksyuumei | 2006-05-07 11:58 | 社会