2006年 05月 04日 ( 2 )

死刑は殺人か 2

中山千夏さんの死刑廃止論は、犯罪による殺人も死刑による殺人も同じものだと言うことを論拠に、犯罪による殺人が許されないものであるなら、同じように死刑による殺人も許されないことだという展開をする。これは、前提となる、「殺人」という点では両者は同じということを認めるなら、論理展開としては間違いがない。

両者が同じ「殺人」であれば、一方が許されるなら他方も許されなければならないし、一方が許されないなら他方も許されないということで同じでなければならない。一方が許されない不当なもので、もう一方が許される正当なものであると主張するなら、その両者が同じものではないということをいわなければならない。

そこで、前回は、法律によって正当な手続きが取られることが両者の違いだということを検討したが、これは、現在の段階ではそうであるが、法律を変えるなら正当な手続きそのものがなくなるので、行為としての両者の違いは、手続きの正当性からは導かれないということを見た。行為としての違いが言えなければ、行為としては同じになる。つまり、行為としては死刑に正当性はないと結論しなければならなくなる。

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by ksyuumei | 2006-05-04 22:57 | 社会

死刑は殺人か 1

中山千夏さんの死刑廃止論である『ヒットラーでも死刑にしないの?』(築地書館)という本を読んでいる。僕は、総論としての抽象論である死刑廃止には賛成だ。抽象的な論理としての結論では、死刑は廃止する方向で考えることが、民衆としての立場としては正しいと思う。民主的に考えれば、これは多数の人の利益になることとして正しいと僕は思う。

しかし、論理としては正しいと思っても、感情的な引っかかりがあるだろうことも理解出来る。そこで、中山さんが語る、この感情的な引っかかりの部分を考えてみようと思う。まず、第一章で語られているのは、死刑と殺人は同じものかというものだ。これに対しては、犯罪としての殺人は不正であり、死刑として凶悪犯を殺すのは、正義の実現として正しいのだと考える人がいるかもしれない。この感情の引っかかりを、論理でいかに埋めるかと言うことを、中山さんの文章をヒントに考えてみたいと思う。

殺人を辞書で引いてみると、「人を殺すこと」と出ている。漢字を文字通り解釈した意味になっている。この定義に機械的に当てはめてみれば、死刑も、死刑囚を殺すのだから「人を殺すこと」であり、殺人だと言うことになる。しかし、この解釈では、現象を短絡的につなげただけで、本質を見ているとは言えないだろう。

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by ksyuumei | 2006-05-04 10:54 | 社会