2006年 04月 29日 ( 3 )

適材適所という働き方と組織

教員の世界というのは、僕から見ると変だと思われる平等主義がある。仕事の量を平均化しようという平等主義だ。これを僕が奇妙だと思うのは、質が違う仕事にも、何とかそれを平等になるように工夫して、かえって効率を落として苦労しているように見えることだ。平等であることが最も重要なことになってしまうと、本来は仕事をすることが第一であるはずなのに、仕事としては質・量共に落ちてしまうという本末転倒が起こるような気がする。

教員は、突出していることを嫌う。これは、特別にひどい仕事をなくすという点ではそれほど悪くはないのだが、逆に突出していい仕事をしていても非難の目を向けられることがある。

ある小学校で毎日学級通信を出していた人が、他のクラスではそれほどの量を出せないので、他のクラスに合わせて出す量を減らして欲しいなどと言われるときがある。僕などは、出せる人はどんどん出して、出せない人が出さなくてもそれほど気にすることではないと思うのだが、出せない人は、何かそのことで非難されているように感じるらしい。横並びに、みんなが同じならその非難を浴びなくても済むと言うことで、突出した人間は嫌われるようだ。

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by ksyuumei | 2006-04-29 15:30 | 雑文

正しい現状認識とその肯定判断について

内田樹さんが「2006年04月26日 ナショナリズムと集団性」というエントリーで、「遠からず、日本はナショナリストだらけになるであろう」という予想を語っている。この予想は、日本の現在を、「「若年弱者」を大量発生させている」という現状分析をした結果からもたらされた帰結だ。

内田さんは「この新たなナショナリズムの担い手はつねに「弱者」である」と考えている。「彼らがナショナリズムに飛びつくのは、「国民的統合が果たされると、自分にも受益機会がめぐってくるのではないか」と考えているからである」と考えている。このような考えから、弱者を大量発生させている日本社会は、遠からずナショナリストだらけになるという予想がもたらされる。

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by ksyuumei | 2006-04-29 11:52 | 内田樹

死刑廃止論を考える 4

「死刑廃止 info! アムネスティ・インターナショナル・日本死刑廃止ネットワークセンター」というページに載せられている、「死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ」の中の中山千夏さんの死刑廃止論を考えてみようと思う。中山さんは、


「死刑制度で、自分自身いちばん引っかかっていることを言うなら、結局「人は人を殺してはいけない」という単純なところに戻ってきます。」


と語っている。このことを考えると、中山さんは、「人は人を殺してはいけない」と言うことを原則として考えているのだなと言うことが分かる。このことは、果たして原則として通用することだろうか。どんな現象が起こっても、その現象の解釈に、この原則を持ち続けて解釈することが出来るだろうか。中山さんの死刑廃止論が、傾聴に値するものになるかは、これが原則として通用するくらい確かなものであるかにかかっているように思う。

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by ksyuumei | 2006-04-29 10:17 | 社会