2006年 04月 21日 ( 1 )

難解な文章について

わかりにくい文章の代表として、本多勝一さんは『日本語の作文技術』の中で、大江健三郎氏の次の文章を引用していた。


「いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機を与えられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によって彼の仕事の現場にも明瞭に持ち込みうるところの、この現実世界を、その全体において経験しよう、とする態度を取ることなしには、彼の職業の外部から与えられたぬるま湯の中での特殊性を克服することは出来ぬであろう、ということに他ならない。改めて言うまでもなくそれは、いったん外部からの恩賜的な枠組みが壊れ、いかなる特恵的な条件もなしに、作家が現実生活に鼻を突きつけねばならぬ時の事を考えるまでもなく、本当に作家という職業は、自立しうるものか、を自省するとき、すべての作家が自らに課すべき問いかけであるように思われるのである。」
(大江健三郎「職業としての作家」『別冊・経済評論』1971年春季号)


この文章を一読して理解出来る人は、かなりの読解能力のある人だろうと思う。本多さんは、この文章を、修飾と被修飾の関係から批判をしていた。分かりにくくなる原因を、修飾される言葉と修飾する言葉が、文章において離れすぎていることに求めていた。

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by ksyuumei | 2006-04-21 09:42 | 雑文