2006年 04月 16日 ( 3 )

カントの一流性

僕が初めてカントの名前に出会ったのは、三浦つとむさんの「物自体」に関する批判の文章の中でだった。それがどこに書かれていたのか探したのだが見つからなかった。記憶を頼りに考えてみると、それは、科学的認識に関わる文脈だったように思う。

「物自体」というのは、


「「感覚によって経験されたもの以外は、何も知ることはできない」というヒュームの主張を受けて、カントは「経験を生み出す何か」「物自体」は前提されなければならないが、そうした「物自体」は経験することができない、と考えた。物自体は認識できず、存在するにあたって、我々の主観に依存しない。因果律に従うこともない。」
「物自体 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」


と説明されている。

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by ksyuumei | 2006-04-16 22:54 | 哲学一般

「反証可能性」という言葉について

「反証可能性」という言葉を使って科学を語る言説をよく見かけるのだが、たいていはそれが的はずれのように感じている。科学に対するこのような的はずれの言説が蔓延しているのは、「反証可能性」という言葉自体に原因があるのか、それともこの言葉の理解に原因があるのか、どちらだろうかと思う。

カール・ポパーが語ったと言われるこの言葉を、ポパー自身はどのように説明しているのだろうと思った。それを見れば、的はずれの言説が、その言葉を誤解しているのか、それともポパー自身の考え方の中に間違いがあるかどちらかが分かるだろうと思う。ポパーのように多くの人から評価されている人間の言説を否定するのはあまりにも無謀だから、おそらく多くの人はポパーの言説を誤解しているのだろうと思う。

たまたま図書館で見つけた『実在論と科学の目的(上)』(岩波書店)という本の序章に「反証可能性」についてが書かれていた。この文章を基に、ポパーが何を言いたかったのかを考えてみよう。そして、それがいかに誤解される可能性があるかを考察してみたい。まずは冒頭の次の文章を考えてみよう。

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by ksyuumei | 2006-04-16 15:20 | 科学

江川達也氏の言説は一流だ

「江川達也氏の言説は一流か」と言うことで、昨日は考えてみたが、考えれば考えるほど、僕には一流だと思えるようになった。そこで、昨日は断定出来なかったが、今日は断定的に「だ」と言い切ることにした。

手塚治虫さんについて考察したことを考えようと思ったのだが、それ以上に鋭さを感じる言説が、日本の教育とそれを支える社会環境に関するものだった。教師として教育現場に立ったということからのものが基礎にあるのだと思うが、その経験が短いものでありながら、実に鋭く本質を捉えていると僕は感じる。引用して考えてみよう。


「戦後の教育は、合目的な形で行われてこなかったのです。ある目標があって、その目標のためにこういう勉強をやると言うことではない。実際の生活でこういうことが役立つから、今こういう勉強をしていますといった教育を、戦後はやらなくなってしまった。目標もはっきりしないまま、意味のないことを暗記しなさい、ということが戦後の教育です。」

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by ksyuumei | 2006-04-16 11:34 | 雑文