2006年 04月 09日 ( 2 )

進化論に対する疑問

進化論に対する疑問というのは、進化という考え方自体が間違っていると考えているのではない。進化という発想は、生物が同一のものとしてあり続けるのではなく、何らかの変化(どれを「進化」と呼ぶのかにはさまざまな異論があるが)をしてきたと考えるものだ。もしこの発想を否定するのなら、生物は変化しないと考えなければならない。

生物が変化しないものなら、種類が違うように見える生物は、どれも突然地球上に出現したと解釈しなければならなくなる。この、進化を否定する発想は、やはり考えにくいものだから、進化というものは確かにあったのだろうとは思える。神の創造という前提がない限り、ある日突然多様な生物が出現したとは考えにくいからだ。逆に言えば、進化を認める発想は、神による世界の創造を否定する立場でもあるだろう。

進化という発想そのもには僕は疑問を持っていない。むしろ、地球の歴史においては、生物が存在していなかった時代もあっただろうということを認めるので、進化という発想も、それなしには現在の地球の生物の多様性を整合的には考えられないという点で、やはり認めざるを得ない。もし、神なしに生物の創造を認めるなら、地球の外から生物がやってきたとでも考えなければならないが、それは確率的にありそうもない。

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by ksyuumei | 2006-04-09 23:50 | 科学

内田樹さんの文章の誤読について

「2004年03月02日 スーパー負け犬くんはいかにして生まれたか?」という内田さんのエントリーに次のような文章がある。


「「勝ち犬」量産システムに身を置くということは、逆に言えば、その「勝ち犬」たちを自分の「サクセス」のめやすとして採用せざるを得ないがゆえに、「不充足感」に苦しむ可能性が他の場所よりも高いということである。
不充足感につきまとわれている人間は「いまの自分の正味の能力適性や、いまの自分が組み込まれているシステムや、いまの自分に期待されている社会的役割」をクールかつ計量的にみつめるということがなかなかできない。
それは、言い換えれば、「分相応の暮らしのうちに、誇りと満足感と幸福を感じる」ことがなかなかできない、ということである。
人生の達成目標を高く掲げ、そこに至らない自分を「許さない」という生き方は(ごく少数の例外的にタフな人間を除いては)、人をあまり幸福にはしてくれない。
あまり言う人がいないから言っておくが「向上心は必ずしも人を幸福にしない」。
幸福の秘訣は「小さくても、確実な、幸福」(@村上春樹)をもたらすものについてのリストをどれだけ長いものにできるか、にかかっている。
ま、それは別の話だ。」

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by ksyuumei | 2006-04-09 11:26 | 内田樹