2006年 03月 19日 ( 2 )

一流の学者と二流の学者をどこで区別するか

この区別は、僕の場合はかなり直感的に、いわば匂いをかぐようにして判断している。それだけに、それを言葉にして説明するのはかなり難しさを感じる。例えば、僕は、宮台真司氏を「超」がついてもいいくらいの一流の学者だと思っている。それは、初めて宮台氏の文章に接して、その1行目を読んだ瞬間にすぐにそう思うようになった。

これはすごい、という感覚はいったいどこから生まれてきたのだろうか。その論理が非常に明晰だという感覚はあった。論理展開に疑問を感じるようなところが一つもなかった。書かれていることがすべて正しいとしか思えないのだ。難しくて理解が出来ない文章も中にはある。しかし、理解出来た文章はすべてその正しさが理解出来る。宮台氏の文章はそういう文章だった。

宮台氏の印象では、もう一つその表現の的確さが深く残っている。宮台氏が語ることが、すでに自分でも考えたことのあるものだった場合は、それは非常にわかりやすい。それと共に、宮台氏に表現してもらうことによって、それまでぼんやりとしか理解していなかったことが、ハッキリとよく分かるようになった。

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by ksyuumei | 2006-03-19 23:59 | 雑文

二流問題

二週間前に、マル激トークオンデマンドでは、神保哲生氏の小学校時代の同級生という『拒否出来ない日本』(文春新書)の著者の関岡英之さんをゲストに招いて議論をしていた。その議論の中で「二流問題」というものが提出された。

例えば竹中大臣は、学者が政治家として登場したと言うことで話題になったが、学者としてはアカデミズムの世界では二流という評価だったそうだ。だが、学者としては二流であっても、経済政策を担当する政治家になり、強大な権力を持つことになれば、その影響というものは計り知れないものになる。

本来ならば、一流の学者の方が正しい判断が出来、現実的にも影響力を持つべきだと考えられる。しかし、学問的な正しさと権力の大きさが比例しないため、必ずしも現実的な政策などでは正しい判断が選ばれない。むしろ、ある種の利権に奉仕するような判断が、学問的な装いを持って提出されて、それに詳しくない大衆は、権力の権威とマスコミの宣伝によって、その二流の判断が正しいと錯覚してしまう。

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by ksyuumei | 2006-03-19 20:37 | 社会