2006年 03月 15日 ( 2 )

論理トレーニング9 逆接の論理  練習問題2(続き)

問5 「」内から適切な語を選び、その接続構造を図示せよ。
(1)イソップの寓話の犬は、池に映った自分をもう一頭の犬と思い込む。
(2)肉のかたまりを加えたもう一頭の犬。
(3)これは自然な錯覚であるが、
  (a)「しかし/ただし」
(4)この鏡が「深さを持つ鏡」であったところに、この寓話の成り立つ条件があった。
  すなわち、
(5)鏡像に向かって吠え立てたとき、獲物は鏡の底に失われてしまう。
(6)このまことに現実的な損失は犬にとって不可解なものであったに違いない。
(7)なにやら腑に落ちぬままに、
  (b)「しかし/ただし」
(8)たしかな喪失感を口中に噛みしめながら、すごすご彼は池から立ち去っていく。
(9)イソップ寓話のこの犬は現実的な生活者に過ぎない。
(10)彼には錯覚はあっても幻想はない。
  これに比べると
(11)仏典に語られている猿などは遙かに徹底していて、
  むしろ
   幻想の域に達している。
  というのも、
(12)そこでは500頭もの猿たちが水に映る月影を求めて、次々と水中に落ちていくからである。

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by ksyuumei | 2006-03-15 09:58 | 論理

「丸い四角」は存在するか

内田樹さんの「不快という貨幣」という文章のトラックバックをたどっていたら、「働かない者は人間ではない(?)――内田樹「不快という貨幣」」という文章を見つけた。その中に、「誘惑」」というエントリーの次のようなコメント欄の引用があった。


「この問題ですが、まず用語を整理するべきだと思うんですね。全く違う内容が語られていても、一見同じ言葉が用いられているので議論が混乱する、ということがしばしばあるわけですから。
まず、前にも言いましたが、内田氏の致命的な間違いは、「労働は贈与である」、などと言っている点です。そもそもの定義からして、「贈与」は見返り(対価)を求めない行為であり、だからこそ、それは市場における「売買」や「取り引き」、「等価交換」に明確に対立します。一方、近代社会における「労働」は、労働者が自らの行為を「賃金」と交換し、あるいはその生産物である「商品」を市場において「売買」する行為です。ですから、「労働は贈与である」という言明は、「丸は四角い」という言明と同様に、端的に背理なのです。
もちろん、現実には労働者はつねに資本家によって「搾取」されているのであり、労働と賃金の「等価性」はいわば幻想的なものに過ぎません。しかし、これと「贈与」における<等価交換の不在>は根本的に異なります(例えば、詐欺にあって「金を騙し取られる」ことと「自発的な寄付」がまったく異なるように)。」

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by ksyuumei | 2006-03-15 01:14 | 論理