2006年 03月 14日 ( 1 )

文章読解における文法的理解と論理的理解 2

内田樹さんの「不快という貨幣」という文章に書かれている、文法的理解は出来るが、論理的理解をしようとすると妄想としか思えないような表現を考えてみようと思う。その表現の中にある論理構造を分析して、妄想ではなく整合性のある主張として理解するように努めてみようと思う。その鍵は、その表現がどのような文脈で語られているかと言うことだ。

まずは、逆説的な一見非論理的に見える表現を拾ってこよう。


「骨の髄まで功利的発想がしみこんだ日本社会において、「働かない」という選択をして、そこからある種の達成感を得る」

「「働かないことを労働にカウントする」習慣が気づかないうちに社会的な合意を獲得した」

「働かないことが労働」


ここに引用した3つの表現は、これだけを単独で文法的に理解しようとすると、常識にまったく反する意味になってしまうので、論理的には非常識な妄想のように見える。働いて何かを成し遂げるからこそ「達成感」があるのに、何もしないことにどうして「達成感」を感じられるのか。単に詭弁を弄しているだけなのではないか。あるいは嘘をついているのではないか。

More
[PR]
by ksyuumei | 2006-03-14 09:57 | 論理