2006年 03月 07日 ( 2 )

「疑惑」に関する雑感

浅井久仁臣さんの「私の視点 ブッシュ訪問の裏にあるもの」というエントリーに、次のような文章があった。


「印パ両国のブッシュ政権に対する貢献度を見れば、ブッシュ大統領にとってどちらの国を優遇すべきかは、今さら言及する必要もなかろう。911以降のムシャラフ政権の対米協力なくしてはアフガニスタンの“解放”はありえなかったからだ。イスラーム世界を敵に回してブッシュ政権に付くことは、半ば自殺行為である。それを敢えて行なったムシャラフ氏の目の前にどれだけすごいニンジンがぶら下げられたか想像に難くはない。」


ここで浅井さんが語っているのは、アメリカがパキスタンに与えたであろう利益があったという「疑惑」だ。この「疑惑」には、何も根拠が語られていない。それは当然のことで、根拠がハッキリしていれば、それは「疑惑」ではなく「事実」になるからだ。

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by ksyuumei | 2006-03-07 10:49 | 論理

難しいことを理解すること

小泉さんの言葉は、非論理的ではあるけれどわかりやすいという評判だ。複雑な背景を持った事柄を、単純な言葉で断言してしまうところにわかりやすさがあるが、複雑な背景をすべて無視してしまうところに非論理性が表れてくる。

例えば靖国参拝問題にしても、すべてを心の問題にしてしまい、外交の問題や歴史の問題を、無視しうるものとして判断して正当化しようとする。質問が、心の問題以外の所に及んでも、それに対する見解を語ることはなく、あくまでも心の問題として処理しようとする。

これを心の問題として処理すれば、単純化されて、それにしか関心がない人にはまさに拍手喝采ということになる。しかし、この論理は、靖国参拝に関して心の問題以外は無視しうるという世界を設定して、その世界の中だけでしか通用しない論理となる。つまり、現実の世界を対象にしているのではなく、抽象的な、自分に都合のいい世界を設定して、その世界の中では正しいではないかと主張する詭弁なのだ。

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by ksyuumei | 2006-03-07 09:46 | 論理