2006年 03月 05日 ( 1 )

「堀江メール問題」と「魔女狩り裁判」との論理構造の類似と相違

kissuiさんという方から「非論理的な主張」というエントリーにコメントをもらった。それは、武部氏が「疑惑がない」ことを証明するのは、魔女裁判において魔女の疑惑をかけられた人がその「疑惑がない」ことを証明するのと同じではないかということだった。

これは「疑惑がない」と言うことを証明したいということで共通点があるように見えるので、そこにだけ注目していると両者の違いが分からなくなる。しかし、そのあたりはこのエントリーにコメントしてくれたたまりさんの比喩で明快に語られていたと僕は感じていた。つまり論理的には、この問題は決着したと思っていた。

しかし、どうもまだ気分的な問題がすっきりしないようだ。これは、論理の構造ではなく、言葉にこだわってしまう人が陥る論理的な誤りだと思われる。内田さんのブログなどでも、時々たくさんの批判が寄せられるのも、論理の構造ではなく、内田さんが語る結論に含まれている過激な言葉に反応しているのが多いように僕は感じる。内田さんは、極めて明快でわかりやすい論理を語っているにもかかわらず、その結論が普通の常識とは違うものを提出したりするので、その結論を受け入れられない気分から、論理構造を理解するのではなく、言葉に反発を感じてしまうのだろうと思う。

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by ksyuumei | 2006-03-05 10:22 | 政治