2006年 02月 26日 ( 2 )

「不快という貨幣」(内田樹)を論理的に理解する

内田さんの「2006年02月23日 不快という貨幣」がいろいろなところで評判になっているという。批判もかなりあるようだ。内田さんは、一般に流通している観念に対してアンチテーゼとなるような主張をするので、その反対性から反発されることが多い。つまり、結果としての主張を見て、結果が自分の思いと違うというところから来る反感からの反発だ。

しかし、それがどれほど自分の思いに反していようとも、論理的に真っ当な結論であれば、それは受け入れざるを得ないというのが、論理にこだわってきた人間の思いでもある。内田さんに対する反発が、誤読という誤解に基づくものなのか、論理的に反対されても仕方がないものなのか、どちらであるかを考えてみたいと思う。

野矢茂樹さんから学んだ論理トレーニングの応用としても、ちょうどいい対象ではないかとも思うので、いろいろと論議を呼んでいるこのエントリーを、論理的に正しく理解するということを、論理トレーニングの観点から考えてみたいと思う。そして、その結果から、内田さんの主張の真意を受け取ってみようと思う。

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by ksyuumei | 2006-02-26 14:37 | 論理

思考停止を招いたアメリカ追従路線の始まり

今週のマル激の配信は、元毎日新聞記者の西山太吉氏を迎えて、いわゆる沖縄密約文書の問題を語っていた。これは実にタイムリーな企画だと思った。当時西山さんがつかんだスクープは、国家権力の犯罪を告発するものだった。しかし、国家はこの告発を隠蔽し、問題を他のことにずらして逃げ切ってしまった。なぜこのように断言出来るかというと、


「1972年の沖縄返還の際、返還される米軍施設の原状回復費をめぐり、両国 の合意文書では米側が負担するとなっていながら、実は日本政府が負担するとの 密約が存在していたことが、25年ぶりに公開された米国の公文書によって明ら かになった。」


と、マル激の紹介文では語られているからだ。アメリカは、公文書がすべて公開されるので、このように明らかな証拠が後に出てくることがある。しかし、この当時ではここまで明らかな証拠が手に入ることはない。証拠が手に入らないということで逃げ切られてしまうということが、国家権力の犯罪の場合にはたくさんあるだろう。おそらくそれは、日本の場合には他の近代諸国よりも多いに違いない。

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by ksyuumei | 2006-02-26 11:18 | 政治