2006年 02月 08日 ( 1 )

ライブドア問題再考 6

ライブドア問題の難しさは、それがさまざまな視点から深く捉えられると言うことだろうと思う。かつて堀江氏が英雄のようにマスコミに登場したときは、その違法性や犯罪性はかけらほども考えられていなかった。しかし、これを深く考えてみると、山根氏が指摘するように、そのころからすでに違法性や犯罪性があったと考えられる。

しかし、ライブドアや堀江氏が悪かったと言うことを確認しただけでは、この問題は終わらない。悪かったにもかかわらず、なぜそうとらえることが出来なかったかという問題もまた深く考えることが出来るからだ。その一つの理由は、堀江氏に「壊し屋」としての積極面があり、この面では高く評価出来るという現実もあったのではないかと思われる。

一方では高く評価され、一方では反対に低く評価されるというのは、正反対の対立した評価だが、これが両立すると言うことが問題を難しくしている。形式論理的に考えれば正反対の出来事は両立しないのだが、これは視点が違うという条件を付与すると両立可能になる。そういうものが弁証法論理だと思うのだが、この問題は弁証法的に捉えないとならないというのも難しい点だろうと思う。

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by ksyuumei | 2006-02-08 10:06 | 社会