福田首相辞任の理由

福田首相の辞任の理由はいろいろなレベルから考察することが出来る。その気持ちのレベルから言えば、「嫌になった」「意欲が無くなった」ということを理由に挙げることが出来るだろう。しかし、この理由で納得していたら、人間というのは気持ちしだいでどうにでも行動してしまうという前提を認めることにもなる。最終的な気持ちはこのようなものであったとしても、そのような気分に至る過程として、福田首相と同じ立場に立てば、大部分の人(日本人と言った方がいいだろうか)が同じような気持ちになるだろうなというような、客観的な理由が見つからないものだろうか。どのような出来事が意欲を失わせる作用を持ったのか、それが伺える報道を捜してみようかと思う。

宮台真司氏の社会学講座にもあったように、人間の行為の選択というのはどのような予期を持っているかということがその決定に大きな意味を持つ。この予期は科学的な法則性の認識に裏付けられていることもあるが、たいていは経験や習慣から「こうなるのではないか」という予期を抱くのではないかと思う。福田首相に起こった様々な出来事の中から、もうこれではやっていけないというような予期を生み出すような要素としてどのようなものがあるのか、納得できるような理由を捜してみよう。



福田首相自身の言葉では、民主党の非協力的な姿勢がもうやっていけないという予期をもたらしたように語られていた。これは日常生活の個人の自由な選択で処理されるようなものであれば、非協力的なものや邪魔を非難してもいいと思う。それでやる気が無くなったと愚痴をこぼしても仕方がないだろう。だが、一国の首相が語る言葉としては問題があるように感じる。

民主党は、政治的に敵対している勢力であり、敵が協力してくれると期待するほど福田首相は甘い考えを持っていたのだろうか。もちろん大義名分があれば協力してくるだろうが、敵でいる間は少しでも相手の弱い部分を叩いてくるのは戦術としては当然だろう。むしろそれをどのようにしてダメージを少なくするかに指導者としての能力が評価される。大統領選でのヒラリー候補の攻撃に対してオバマ候補は実にうまく対処したように思う。そして、予備選が終わってもはや敵対する必要が無くなり、協力することの方にこそ大儀が移ったときには、あれだけ攻撃的だったヒラリー候補が全面協力の姿勢に転じたというのも、状況がそのようになったからだと理解できるだろう。いかなる状況の下でも、自民党に民主党が協力すべきだと福田首相が思っていたなら、指導者としての資質が疑われる。民主党が協力しなかったから意欲を失ったということを理由にするのなら、これは納得できるものではない。どこかの親父が愚痴をこぼしているレベルにまで首相という仕事のレベルを引き下げるものになる。

中日新聞の社説「福田首相退陣 二代続けて投げ出しか」でも、


「福田首相は一日夜の緊急記者会見で、道路財源の一般財源化や消費者庁設置の方向性を打ち出せたことなどに触れ「国民目線の改革に手をつけた」と胸を張った。

 だが、こうも続けた。国民生活を考えれば、民主党が審議を引き延ばすことはあってはならない、私が首相を続ける限りどうなるか分からない、ならば新しい布陣のもとに政策の実現を図らないといけない、と。それゆえに辞任するのだという。内閣支持率の低迷も一因に挙げた。

 全く理解できない。病気を辞任理由にした安倍氏とは違うと抗弁したが「投げ出し再び」と言わずに何と言えばよいのか。」


と論評していて、この理由が納得できるものではないことを指摘している。愛媛新聞の社説「福田首相辞任 解散をこれ以上先送りするな」でも「それをすべて野党のせいにするのは見苦しい責任転嫁でしかない」と指摘されている。

では納得できる理由としてどのようなものが探せるのか。もし福田首相のやる気がなくなった理由がこのこと以外に見つからないのであれば、それは福田首相は首相としての指導性がなかったと評価するしか無くなるだろう。もしそうであればすべてが納得できてしまうのだがどうも釈然としないものが残る。朝日新聞の社説「田首相辞任―早期解散で政治の無理正せ」でも、


「安倍前首相の突然の政権放り出しから、わずか1年足らず。自民党の首相が2代続けて自ら政権を投げ出すことになる。極めて異常、無責任としか言いようがない。野党第1党に政権を引き渡せという声が出ても不思議はない。それほどの事態だ。

 いま辞任すればそんな批判を浴びせられるであろうことは、首相も十分わかっていたはずだ。それなのになぜ、こんな決断を下したのか。」


と疑問を提出している。福田首相としては、日本的な指導者にふさわしく、誰にも非難がいかないような配慮をしてこのような言い方になったのではないかということも考えられる。このような言い方で辞任理由を述べれば、上の社説にあるように自分自身に非難がくるだろうことは予期できたのではないだろうか。それが予期できたにしてもこういわざるを得なかった理由があるのではないかというのが、僕が他の理由を捜したい動機だ。本音を言ってしまえば、自民党はもう政権担当能力がないのだという判断につながってしまうようなことがあったのではないだろうか。だから本音を語らず、政権担当能力が無いのは福田首相という個人なのだということを見せるためにこのようなことを語ったと受け取るのは深読みのしすぎだろうか。

中日新聞の社説では「公明党の「福田離れ」が響いたのか」という指摘をしている部分が見られる。これを辞任理由に挙げていた論説が他にもいくつか見られる。天木直人さんもブログで「福田首相を追い詰めたのは創価学会と米国である」というタイトルで語っている。そこには次のように書かれている。


「解散・総選挙の時期からはじまって、国会会期幅の問題、新テロ特措法延長問題、暫定税率問題など、福田首相のやろうとすることをことごとく公明党は否定した。

  福田では戦えないとまで言って福田首相の名誉を毀損した。」


また秋田魁新聞社の社説「福田首相辞任表明 またも唐突で無責任だ」には次のように書かれている。


「まだ理由が明確でない中で、あえて3つの点を指摘したい。支持率低迷が続いていること、与党内で「福田首相では次期衆院選は戦えない」との空気がかなり強まってきたこと、とりわけ連立を組む公明党との関係がぎくしゃくしたことである。」


公明党との関係が悪化して、国会運営をむしろ困難にしたのは公明党の非協力の方だったというのが本音だったかもしれない。これなら、この先国会が開かれていてももうあまり成果は期待できないという予期が生まれる可能性も高まるのではないだろうか。これは、民主党が邪魔したという理由よりも納得が出来そうだ。民主党の邪魔なら、それは敵がすることであるから、権謀術数が渦巻く政治の世界において、むしろ対処する方法はいくらでもあるだろう。しかし、味方が邪魔をしたときには、それに対処するのは難しい。また、味方である公明党の邪魔を指摘して愚痴をこぼすことなど、公には出来ないだろう。自らが語ることは出来ないという点では、自分が非難されようとも民主党の非協力を理由として語ったという苦しい胸の内は理解できるし納得できる。

この見方はかなり一般的でもあるようだ。徳島新聞の社説「09月02日付 福田首相退陣 政権投げ出しは無責任だ」でも、


「首相は、臨時国会の召集時期や経済対策でも主導権を発揮できず、太田誠一農相の事務所費問題も表面化した。さらに、公明党が首相に見切りを付けたとの見方が強まっていたことも、退陣決断を後押ししたのだろう。

 自民、公明両党の与党体制が行き詰まった結果といえる。」


と指摘されている。だが、この見方が一般的であったとすると、またもう一つの疑問がわいてくる。福田首相が自分でこのように語らなかったとしても、誰もがこのように見ているなら、それはあまり効果がないことになってしまう。むしろちゃんと言わないことでますます政府与党に対する不信が募るだけだ。

公明党の非協力な姿勢は、このままでは選挙が戦えないという懸念が広がっているからだとも言われている。人気のない福田首相ではなく、もっと人気のある人を首相にして選挙を有利に戦いたいという思いからくるものだと。しかし、福田首相が自らの非難を覚悟してまで展開したこの辞任会見が、みんながその真意を分かっていたとすると無駄になってしまう。

政府与党としては、少しものが分かり情報をつかんでいる人だったら、天木さんのブログや社説にあるように、その真意が見え透いてしまうことでも、それを見ない多くの人にはごまかせるのではないかという計算が働いているのだろうか。今週のマル激では、ブッシュの大統領再選の時に、イラク戦争の正当性をアメリカ人の7割くらいが信じていたということをアメリカ在住の町山さんが報告していた。インテリ層のアメリカ人でブッシュを支持している人は誰もいなかったが、そのような情報を持たない、ブッシュが語ることの真意を推し量るような深読みをしない層は、ブッシュが語ることをそのまま信じたという。

福田首相が語ったことをそのまま信じる日本人はどのくらいいるだろうか。また信じないにしても、人気がある人が首相になったとき、結果的に選挙で自民党の議席が減らなかったら、うまくごまかされたということになってしまうだろう。

公明党の主張の正しさを決定するのは難しいとは思うが、政府与党の政治的な決定が、自民党の意向に反して公明党の主張が通り、しかもそのことが公に出来ないというところに問題を感じる。いったいこのような協力体制でまっとうな連立政権と言えるのだろうか。選挙において公明党の組織票は、自民党議員の当落を決定するほどの重要性を持っているのだろうが、そのために、公明党の主張がそのまま通ってしまうような体制になっているとしたら、その主張が公的なものではなくエゴイズムからのものであっても通ってしまう可能性が出てくる。しかも形式的には民主的な手続きを踏んだものになってしまう。民主主義を形骸化し、その決定に正当性を失わせるような今の与党体制は、国民の大部分にとって害のあるものだと思われる。民主党の信頼性を云々するよりも前に、今の与党体制そのものを一度解消する方がいいのではないかということを、福田首相の辞任劇は教えているのではないかとも感じる。もしかしたら、それが辞任の一番の理由かもしれない。
[PR]
by ksyuumei | 2008-09-03 10:02 | 政治


<< 比例代表選出の議員が離党した場... 「何故」を追い求める論理学 >>