「何故」を追い求める論理学

昨日、福田首相の突然の辞任発表があった。お昼のニュースでは、防災の日の大規模な訓練で指導者として活動する姿を見たばかりだったので、この突然の辞任劇とのつながりが整合的に理解できなかった。「辞任発表があった」という事実は、その記者会見などの映像で直接理解することが出来るものの、それが「何故なのか」という他の事実とのつながりが読めなかった。このつながりを見つけるには論理の助けがなければならないだろう。

何が原因で辞任という決断に至ったのか。いかなる理由があれば、辞任を決意したのも無理はないというような理解が出来るのか。辞任という事実と、それに先行する他の事実との論理的関連性というのは、事実を眺めていれば自然に発生してくるものではない。Bという事実が発生したとき、それに時間的に先行するAという事実がいつも原因になり理由になるというわけではない。「AならばB」という仮言命題が成立することが前提となって、先行するAという事実が起こることがBという事実が起こる必然性をもたらすという理解がされる。論理的な理解には「AならばB」という仮言命題の理解が必要になる。



前任者の安倍前首相が辞任したときは、多くの人はそれが健康上の理由からのものであると理解した。それは

<健康に問題がある> ならば <激務を伴う職務には耐えられない>
<激務を伴う職務には耐えられない> ならば <職を辞するのもやむを得ない>

というような仮言命題が成立することを暗黙のうちに了解していたと思えるからだ。この仮言命題の陰には、

<健康に問題がある> ならば <判断に間違いがある可能性が高くなる>

というような仮言命題の成立も前提されているのではないかと思える。いずれにしても、安倍前首相の場合にはその辞任理由がある意味では分かりやすかった。分かりやすかったために、もう一歩踏み込んだ論理展開がしにくかった面もある。

もう一歩踏み込んで考えるなら、この健康問題を引き起こした原因というものをさらに論理的に追求していく必要があっただろう。それは偶然その時期に起こったものであったのか、元々安倍前首相には持病とも言えるような健康問題があったのか。それとも、首相という激務の遂行が原因で徐々に健康が損なわれていったのか。

もし職務の遂行に伴う健康問題であるなら、安倍前首相の政治家としての資質が問われなければならないという論理展開も考えられるだろう。安倍前首相が抱えていた問題とそれに伴う激務は、一国の首相としてはごく普通の問題であって、首相であるからにはその程度の困難に立ち向かってそれを克服するだけの資質は持っていなければならないと言えるかもしれない。それに耐えられなかったのは資質の面で不足があったからという判断がなされるかもしれない。そうすると、そのような資質面で問題のある人物が首相になってしまうという、現在の日本の政治のシステムのあり方にも問題があるという論理展開も出来るだろう。本当に首相としての能力を持っている、首相にふさわしい人間が首相にならないということの問題をもっと自覚しなければならないのではないかと思う。

さて、福田首相は、自分の辞任は安倍首相の時とは違うということを会見の席では語っているらしい。これは、辞任の原因や理由として、健康の問題が最も大きいということではないという意味だろうと理解できる。健康の問題も、辞任の引き金を引いた一因として数えられるかもしれないが、それ以上に大きな理由があるということだと思う。それではそれは何かということを考えたいと思う。どんな理由が、福田首相の辞任を最もよく説明する論理的な前提となるのか。それは一連の報道の中から見つけることが出来るだろうか。

辞任会見での福田首相自身の声で語られた部分を見ると、「いま日本経済、国民生活を考えた場合、体制を整えた上で国会に臨むべきであると考えた。ここで政治空白を作ってはならない。この際、新しい布陣で政策の実現を図って参らなければならない、と判断し、本日辞任することを決意した」という言葉が見える。この表現は、辞任の理由を整合的に理解させるような仮言命題に書き換えることが出来るだろうか。何とか解釈してみると次のような主張だと考えられるだろうか。

<国民生活を考える> ならば <体制を整えた上で国会に臨まなければならない>
<政治空白を作る> ならば <体制を整えることが出来ない>
<新しい布陣を作らない> ならば <体制を整えることが出来ない>

この仮言命題から引き出される結論は、<政治空白を作る><新しい布陣を作らない>という前提があれば、それは体制を整えることが出来なくなり、結果的に<国民生活を考える>ということの否定になる。国民生活が損害を受けるという結論を主張しているように解釈できる。

このように解釈すると、<政治空白を作る>ということと<新しい布陣を作らない>ということを避けるために自分は辞任をするのだと理由を語っているように見える。これは論理的に整合性を持ったものになるだろうか。

上の3つの命題は、最初の二つは一般論的に正しいのではないかと思える。それは対偶を考えると正しいように思えるからだ。次のようになるだろうか。

<体制を整えられないで国会に臨む> ならば <国民生活を無視している>
<体制を整える> ならば <政治空白を作らない>

前件の状況は、後件の状況を引き起こす必然性を持っているように感じる。3つめの命題だけは、一般論的に成り立つものではなく、現在の特殊な状況の下で成立するものだと思われる。これは対偶をとると次のようになる。

<体制を整える> ならば <新しい布陣を作ることになる>

これは何を意味しているかといえば、現在の布陣では体制が整えられないという判断があることを意味している。現在の福田内閣では、懸案となっている問題に対処するような体制が取れないのだという判断を暗に語っていると理解しなければならないだろう。自分たちはだめだと判断したのは、潔いと言えば潔いのだが、発足してから間もないのにそのように判断するのは無責任ではないかという疑問を抱かれても仕方がない。もし潔くそのような判断をするのなら、もう一歩進めて、もはや自民党を中心とする与党そのものに政策遂行能力がないのだと潔く認める必要があるのではないかとも感じる。福田内閣には出来ないが、新しい与党内閣にはそれが出来るという判断はどこから出てくるのだろうか。

論理的な問題としては、上に語った福田首相の命題の真偽よりも、実は次の命題の真偽の方が国民にとってはより重要だと言えるのではないだろうか。

<政治空白を作らない> ならば <体制を整えることが出来る>
<新しい布陣を作る> ならば <体制を整えることが出来る>

これは上の命題とよく似ているが、仮言命題の肯定と否定が違っている。仮言命題の場合は、元になる仮言命題が正しいとき、その対偶も必ず正しくなるが、前件と後件をそのままにして肯定と否定を取り替える「裏」(「AならばB」に対して「AでないならばBでない」という命題)は必ずしも正しくならない。「逆は必ずしも真ならず」ということわざがあるので、逆については目につきやすいし、論理的な検討を忘れずにいられるが、「裏」というのは普段はあまり考えないので見落とすことがあるかもしれない。

この「裏」の命題は、一見正しいように錯覚しやすいのではないかと思う。しかし、<新しい布陣>が、やはり政治遂行能力において劣るものであれば、それは体制を整えることが出来なくなるし、結果的に国民生活に損害を与えるような失敗をする可能性も高くなるのではないかと思う。この命題の真偽は、<新しい布陣>がどれだけ高い能力を持っているかに依存している。

<政治空白を作らない>ということは、解散・総選挙という手順を踏むことが、懸案になっている事柄の議論が出来ない状況を作るということを意味するのだと思うが、選挙によって国民の信を問うことなしに、<新しい布陣>の優秀さを国民が信頼できるだろうか。単に時間的につながっているというだけで<体制が整えられる>という結果を導くだろうか。

福田首相が語った命題が、この時点でたとえ正しかったとしても、この「裏」に当たる命題が正しくなければ、今後の展開は期待したとおりにならないのではないかと思う。

記者会見では「新しい体制を整えた上で国会に臨むべきだという考えを表明されたが、新しい体制になればどのような点でいまの事態を打開できるか。」という質問に対して福田首相は、「私が続けていくのと新しい人がやるのと間違いなく違うと考えた結果です」と答えている。これは論理的な予想を語ったものではなく、福田首相の希望あるいは期待を語ったものだ。「裏」に当たる命題が実現するかは、全く分からないということだろう。それはやってみなければ分からないけれど、とにかく期待してくれと言っているように聞こえる。

「辞めること自体が空白を生むのではないか」という質問は福田首相の矛盾を突いているもののように思う。これに対し福田首相は「私が続けていって国会が順調にいけばいいが、そういうことはさせじという野党がいるかぎり、新しい政権になってもそうかもしれないが」というような答えを語っている。これは、与党の政策が正しいかどうかということは不問にしておいて、政治的な混乱を招いたのは野党のせいだという非難をしていると受け取れるだろう。これが正しいかどうかを置いておいたとしても、この状況が新しい布陣になったときに変わるものだろうか。

福田首相は「いまが政治空白を作らないには一番いい時期だいう判断をした。国会の途中で何かあったなら、そのほうがより大きな影響を国民生活に与える」とも言っている。いずれにしても空白にはなるのだが、今の方が影響は少ないと言っているように聞こえる。

福田首相が語る言葉からは、論理的に整合性のある理解が困難だ。この辞任劇を理解するには、仮言命題として確かにその通りだと思えるもので、しかも重要度の高いものを見つける必要があるのではないかと思う。福田首相が首相を続けていく限りで、何が問題となって、どのようなことを阻害するのか。やめなければならない最大の理由になるものは何なのか。そして、それが何故今という時期なのか。

太田誠一農水相の問題で、今後の展開に注目しようと思っていた矢先のこの辞任劇は、その問題を世間からすっかり忘れさせてしまう効果を作るかもしれない。何故今この時期に辞任するのかというその何故は、もしかしたらこの問題が絡んでいるのかもしれない。マスコミがこの問題を忘れずに、太田農水相の説明責任をどこまでも追及してくれればと思うが、忘れられてしまうことになれば、結果的にこの辞任劇が太田氏の危機を救ったことになってしまうだろう。そうならないことを願う。
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by ksyuumei | 2008-09-02 10:01 | 論理


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