理解の道具としての形式論理 2

宮台真司氏の「連載第二三回:政治システムとは何か(下)」に書かれている文章を一つ一つ、論理的に理解するということを目指して細かく見ていきたいと思う。前回に続く文章で今回理解を図るのは、宮台氏の「権力の予期理論」に関係する文章だ。それは、宮台氏の説明によれば次のように語られる。


「概括すると、選好構造と予期構造の組に由来する、回避選択への圧力が存在するとき、この圧力を体験する者を服従者とする権力が存在すると見做します。」


この文章は、初めて読んだときには、何が書かれているのかさっぱりイメージがわかなかった。ここにはまず用語の難しさがある。「選好構造」「予期構造」「回避選択」という言葉が何を意味しているかを知らなければならない。上の文章は、論理としてはそれほど難しいことを語っているものではないが、この用語の難しさが理解を難しくしている。



上の文章については、宮台氏は次のような補足説明を書いているが、この補足説明が、主たる主張以上に難解な文章になっている。それは次のように書かれている。


「ある人iが、自分の行為が招く相手jの行為(がもたらす社会状態)を予期し、理想的状態y(をもたらす行為)を断念して次善的状態x(をもたらす相手の行為を招く行為)に甘んじる場合、iは権力を体験しています。相手jが権力者で、自分iが服従者です。
iが理想的状態yを断念するのは、それをもたらす筈の行為(が招く相手の行為)が、次善的状態xよりも悪い社会状態(回避的状態z)をもたらすからです。回避的状態zを避けるために次善的状態xをもたらす選択に甘んじる選択を、「回避的選択」と言います。」


この補足説明が難しいのは、すべて抽象的な用語を使って語られているからだ。ここに登場する抽象的な用語に対して、すべてイメージを持っている人間ならその内容を想像できるが、そのイメージがない人間は、上の文章は単なる言葉の羅列という記号列にしか見えない。それでも論理構造だけを取り出して整理してみると、上の文章は次のように表現される。前半部分は、


A…「自分の行為が招く相手jの行為(がもたらす社会状態)を予期する」
B…「理想的状態y(をもたらす行為)を断念する」
C…「次善的状態x(をもたらす相手の行為を招く行為)に甘んじる」
D…「権力を体験する」

  AかつBかつC ならば D

と解釈される。これは法則性として語られているというよりも、Dの「権力を体験する」ということの定義として提出されていると受け取った方がいいだろう。「選好構造と予期構造の組」というのが、A,B,Cで語られているような内容を意味し、そこから<ならば>で引き出される論理的関係になっていることを「由来する」と最初の文章では表現しているように思う。

そうすると「回避選択」というのは、Cで語られている「次善的状態」を選ぶということになるだろう。そして、「理想的状態を断念する」というのが「圧力」ということになるのではないかと思う。論理構造はこのように受け取れるのであるが、「選好構造」と「予期構造」のイメージがまだつかめないので、上の論理構造の内容的な理解はまだ出来ていない。

上の命題の内容を考えるために、宮台氏の『権力の予期理論』という著書からヒントを得てみよう。そこには具体的な例として、強盗jに襲われる被害者iというものが設定されている。これを宮台氏はマトリックス(2行2列の表)で表しているが、テキストでは表現が難しいのと、マトリックスにするとかえってイメージが難しくなるので、「選好構造」と「予期構造」を文章で表現して考えてみようと思う。

宮台氏は、この強盗がピストルを持っていることを想定して、強盗行為を、ピストルで撃つという脅しをかけることで金を出させるというものに設定している。このとき被害者iの選好(何を選ぶことが好ましいかという判断)を次のように二項判断として設定している。

・金について    … 出す または 出さない
・ピストルについて … 撃たれる または 撃たれない

それぞれに肯定か否定かを選択するものとして考えている。これは、論理の展開としてその方が単純で形式論理的な取り扱いがしやすいからだろうと思う。このとき「理想状態y」といわれるのは、被害者iにとってもっとも好ましい(利益となる)選択だと考えられる。そうすると、それは

  <金を出さない> かつ <ピストルで撃たれない>

ということになるだろう。しかし、<金を出さない>という選択をしたときに、強盗jがどのような行為に出てくるかという「予期」を考えると、この理想状態が実現するとは思えなくなる。<金を出さない>ならば、<ピストルで撃たれる>ということの方が起こりそうだという「予期」が生まれるだろう。予期の構造は次のようになるだろうか。強盗jの行為についての予期なので、主語は強盗jになる。

・金について    … 奪える または 奪えない
・ピストルについて … 撃つ または 撃たない

被害者iが<金を出さない>という選択をしたときは、強盗jから見れば<金が奪えない>ということになり、それならば<ピストルで撃つ>という予期(推論)の方が妥当だという判断になる。被害者iにとって、<金を出さない>という選択は利益ではあるが、<ピストルで撃たれる>という不利益と比べてみると、<ピストルで撃たれる>というのは、すべての他の不利益と交換してでも避けたいものになる。だから、<金を出す>(金を奪われても)ということをしても、<ピストルで撃たれる>ことを避けられればよいと考えるだろう。このような意味で、撃たれることを避けるために金を出す選択を「回避選択」と呼ぶのだろう。

この「回避選択」は最も選びたい「理想状態」ではないから、嫌々ながら選ぶことになる。そういう選ばざるを得ない状況を作るものが「圧力」と呼ばれ、この「圧力」を経験する時に「権力」がそこに「存在する」と定義しているように理解できる。この「権力」は、それがなければiは理想状態を選べばよくなるだけなのに、それが選べないということでその存在を主張できるということになっている。この存在は、実体的にそれを観察して判断したのではないが、作用が存在するときは、その作用をもたらした何物かが存在するのだと考える前提によって存在を主張しているように見える。この「権力」は、実体的な物質的存在ではないように見えるが、この時点ではあまりはっきりしたことは言えない。

具体的な強盗jと被害者iについては、上のようなイメージでjが権力者ということになる。iは権力者jの意向によって行動の制約(拘束)を受ける。これを一般化すると、国家権力などの概念も、同じように「選好構造」と「予期構造」でモデル化できるのだろうか。もしモデル化できるようなら、「回避選択」という形で拘束を受けることが見て取れるだろう。そうすると、その拘束が、集合的決定に対してももたらされると考えれば、集合的決定が社会の成員を支配するというメカニズムが解明されることになる。

宮台氏の「権力の予期理論」を単純化して論理の流れだけを見るとそのような理解の仕方になるだろうか。だが、これでは抽象的な世界で成立する論理法則のようであって何か現実離れしている感じがする。実際には現実の社会というのは、強盗が被害者を脅すだけの権力関係しかないわけではない。もしそうであれば、国民はいつでも国家権力の被害者だという主張をしなければならなくなるだろう。

実際には、愛国心の議論にもあるように、国民が自ら進んで国家のために忠誠を尽くすという現象すら見られる。被害者であるどころか、自らの利益にならないようなことでも甘んじて受け入れて国家の要請に応えるというようなことさえ起こる。戦争中に国家のために命を捧げた多くの軍人はそのような意識があったことだろう。

「回避選択」という理解だけでは、このような国家権力の持つ側面を理解できない。誰もが嫌々ながら選択するというのではなく、進んで選択していくというメカニズムはどのような因果関係からもたらされるのか。それが「正統性」という概念ではないかと思う。この「権力の予期理論」がどのようにして「正統性」の合理性に結びついていくのか。

宮台氏の「社会学入門講座」では論理の流れは、さらに「汎人称的権力」「奪人称的権力」という言葉の概念を導入するという展開になる。強盗jの権力という、個別的な誰かの権力としてイメージされていたものが、その誰かが消えることで、どのような権力として社会の成員に働きかけるのか。この二つの概念から、どのようなことが演繹されるのか。それが抽象理論における「正統性」の確立につながるのではないかという気がする。次回のエントリーでは、この二つの概念の詳しい理解を図ってみようかと思う。
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by ksyuumei | 2008-08-16 16:56 | 宮台真司


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