社会「科学」の可能性

自然科学の分野が「科学」であるという共通理解は、自然科学系(日本では理科系、宮台氏の言葉でいえば数学系)の人間にはだいたい共有されている認識だと思う。それは、板倉さんが語る意味での「科学」という概念で考えても、確かに「科学」だと納得できるものだ。

自然科学で対象になるものは一般的な抽象的存在になる。物質の運動の法則を理論化しようとしても、それは目の前にある具体的な物質にのみ当てはまる経験的な法則ではない。その物質がこのように運動したからという経験を記憶しておいて、この次もたぶんこうなるだろうというような形で記述されるものではない。

運動を考察する力学では、物質一般としてある「質量」を持った対象について成立する法則を求める。もっとも単純で考えやすいものは、その質量が1点に集まった「質点」というものを想定して、その質点にかかる力を考察する。「質量」や「質点」という概念が、力学の対象を一般的に扱うことを可能にし、その概念操作としての思考が力学のさまざまな命題を発見させ、それを「仮説」として考える。その「仮説」が常に成り立つ命題であるという「実験」を考案して、「仮説実験の論理」を経ることによって力学の「仮説」は、現実的な真理(相対的真理)となり「科学」になる。



自然科学の場合は、対象を一般化するための概念を抽象化することが出来、ある法則性を再現する実験を人為的に設定することが可能になる。そのため、「科学」としての性格を持ちやすく、多くの分野で「科学」であることが確かめられた命題が存在する。それに対し社会「科学」系の場合は、長い間「実験」が出来ないということが、それが「科学」になることを阻んでいたようだ。

僕は社会「科学」系というふうに、「科学」という言葉をカッコ付きにしておいた。これは「科学」という言葉を、板倉さんが語る意味で使いたいからだ。辞書的な普通の意味で「科学」を捉えれば、社会「科学」系の知識も、それなりに科学と呼べるものがあったと言えるだろう。エンゲルスは、マルクスとともに考案した社会主義を「科学的社会主義」と呼んで、それ以前の思弁的な「社会主義」と区別をしていた。この場合の<科学的>という言葉の「科学」は、思弁的(すなわち頭の中で考えただけ)ではない、現実に有効な指針をもたらす命題を提出できる理論だというような考え方があったに違いない。<科学>をそういうふうに考えて概念化することも出来るだろう。

だがそのような意味での<科学>は、必ずしも「仮説実験の論理」を経て得た真理であるという前提を含んでいない。思弁的なだけではない、経験的な確かさがあるということが<科学>の条件として想定されている。このような知識は、経験した限りでは正しいかもしれないが、未知なる対象に対してもその理論を応用したときに、100%正しいという信頼感を持って適用できるかというほどの信頼感はない。いつでも同じ法則が適用できるということを、板倉さんは「馬鹿の一つ覚え」という比喩で語っていたが、それが出来るということが板倉さんの言う意味での「科学」だ。

マルクス主義のさまざまな命題は、社会主義国家の崩壊とともに、必ずしも正しい命題ではなかったということが証明された。だから、これは板倉さんが言う意味での「科学」ではないことが確かめられたといえるだろう。そもそも「主義」という言葉が付着した言葉は、その真理性は宗教的な信仰のようなもので、信じている人間には真理だが、疑いを入れたい人間にはいくらでも疑うことが出来るというものになるだろう。

現在の学問の世界では社会「科学」と呼ばれるものは数多く存在するが、その中に、板倉さんが言う意味での「科学」は極めて少ないようだ。問題はやはり「実験」という概念の捉え方によるものだろう。社会の現象は、人為的に操作することが出来ないので「実験」をすることが出来ないという捉え方になってしまう場合が多い。したがって、社会「科学」の命題は、現実の経験をよく考えて、経験する限りでの現象に対してはすべて整合的な説明がつけられるものだから正しい(真理だ)とされる発想になっているのではないかと思う。

板倉さんがよく語っていたが、日本には教育という対象に関しては「科学」的真理を語った命題はないという。その正しさは、教育に対する真摯な姿勢から来る信念に基づいているという。心がけが正しいから教育としても正しいのだという信念だ。だが、これは教育効果というものを数字で測ったりすると、正しい信念と心がけの下でやられた教育が、必ずしも効果をあげていないという結果が出ることも多い。この場合、結果を見て、そのやり方は「科学」的には間違っているのではないかという主張は、教育界ではなかなか受け入れられない。それは信念や心がけが弱かったからだと判断される場合が多い。教育における命題は、事後的に解釈されることが多く、大部分は「反証可能性」を持たない。つまり大部分は「科学」ではない。

このように考えると、社会「科学」の分野は「科学」になる可能性を持たないのではないかとも考えられるが、板倉さんは、仮説実験授業を提唱して教育「科学」を打ち立て、『日本歴史入門』(仮説社)を書いて、歴史「科学」を打ち立てたと語っていた。これらの教育や歴史が「科学」になったというのは、どのような根拠から主張できるのだろうか。

これは「実験」というものの捉え方(その概念)が、普通の意味とやや違うことからきている。板倉さんの「実験」概念(実験観)では、社会「科学」の分野でも十分「実験」が出来るのだ。それは、人為的にある状況を設定して、その中で観察をするという「実験」観ではない。板倉さんが言う「実験」とは次のようなものを指す。未知なる対象に対してそれがどうなるかという現象に対する知識を持たないとき、自らの「仮説」を根拠にして論理的に予測を立てる。そして、その予測を、対象が未知であるときに明確に表現しておく。それは未知が既知になったときに、その予測が当たったかどうかが二者択一的に評価できるような形で表現しておく。解釈によってどうにでも出来るような表現はしておかない。このような準備をして未知なる対象の事実を既知になるように調べる。板倉さんの言葉で言うと、「仮説を持って現実に問い掛ける」というようなことになるだろうか。

教育に関して言えば、仮説実験授業が発見した法則性が、これから授業をする一般的なごく普通のクラスで必ず成立するということが見られるかどうかを問うことが「実験」となる。この「実験」は、そのクラスがごく普通のクラスではなく、特殊性を持ったクラスであれば失敗する可能性がある。これは事後的に解釈してしまえば、「反証可能性」を否定することになり、「仮説実験の論理」に反する。

この場合は次のように考える。ごく普通のクラスというのは、ごく普通であるからにはランダムに選んだとしても日本にはかなりの高い確率でごく普通のクラスが選ばれるはずだ。それをたとえば90%以上と設定しておく。だから、その対象がごく普通のクラスであるかどうかを事後的に判断するのではなく、「実験」の前にそれは90%以上あると設定しておく。つまり、仮説実験授業が、それを行ったクラスの90%以上で成果をあげるなら、その法則性は正しいのだということが「実験」で証明されたと受け取るのである。事後的に解釈するのではなく、事前に条件を設定しておくことによって、それを単なる解釈から「仮説実験」という概念に引き上げる感じだ。

仮説実験授業の場合は、これから授業を行う前に予測するので、「実験」というイメージにふさわしい感じがするが、歴史の場合は、対象とするものが過去の事実なので「実験」ではなく解釈のような気がしてくる。だが、これも「未知」という概念が「仮説実験の論理」につながってくる。すでに既知になっている歴史事実なら、それを解釈して整合性を取るという論理展開になっていくだろうが、未知なる歴史的事実に関しては、それを知ってから整合性を取るということが出来ない。

たとえ未知なる歴史的事実であっても、ある法則性に従えばこのようなこととして起こらざるを得ないだろうということを考えるのが、歴史における「仮説」から得られる予想になるだろうか。歴史的事実というのは、完全な形で残されている対象は少ない。権力者が残した歴史は、権力者にとって都合がいいように書き換えられている可能性が高いし、平凡な事実は特に記録しておくということがされずに、今のイメージで昔を想像して歴史的事実を捉えている場合が多い。

未知なる歴史的事実や、勘違いしている歴史的事実を、どのようなものが本当に正確な事実なのかということが突き止められれば、それを突き止める前の予想はすべて「仮説実験の論理」における「実験」の前段階としての「予想」として設定することが出来る。

板倉さんは、日本歴史において、江戸時代の農民は主として何を食べていたかという問題を設定した。そして、おそらく米を食べていただろうという予想を立てていたようだ。これは、それまで多くの人が描いていた江戸時代のイメージとはまったく違うものだ。江戸時代の農民は苦しい生活をしていて、白米を食べることなど出来ず、稗や粟を食べていたというイメージがかなり流通していた。

板倉さんがこの予想を立てた基になった法則は、歴史の法則という感じではないが、原子論の考え方が基になっている。原子論では、原子が消滅したり付け加えたりというような、原子そのものの移動がなければ、その物質は増えもしないし減りもしないという命題がある。この命題を基に江戸時代の農民が最も多く生産していた穀物は何かということを板倉さんは調べた。

この調査の正しさについては板倉さんは直接語っていないので板倉さんを信じるしかないのだが、さまざまな記録資料などを評価して、主に統計的な視点からそれを調べたようだ。その結果は、農民がもっとも多く生産していたのは米であり、しかも当時の農民は人口の90%近くを占めていたということだ。

武士などの支配階級が米を農民から取り上げたとしても、彼らがそれをすべて消費することはおそらく出来ない。米を無駄にせずに消費するには、それが農民に帰って来るシステムがなければならない。米の生産が落ち込むような災害があった場合は、米が回ってこないために飢饉が起こることがあるだろうが、そうでない時は日本の農民は自らが生産した米を消費して生活していたと考えざるを得ない。そうでなければ日本の農民の大部分は死んでしまい、日本の国はなくなっていたかもしれない。

日本の農民が江戸時代に米を食べていたというのは、もちろん直接見ることは出来ないし、記録に残っていないのでそれで確かめることも出来ない。だが穀物の生産量というものは記録を調べて確認することが出来る。この記録を確認する前に、原子論的な命題から「仮説」を設定して、その「仮説」を持って江戸時代の記録に問い掛ける、まだ未知のデータである穀物生産量を調べるということが「実験」になる。そのようにして板倉さんは、日本歴史のある事実に関して「科学」的な真理を打ち立てたと言えるのではないかと思う。

宮台真司氏の社会学も、それは「科学」として打ち立てられたものだといわれている。その「科学」性を今度は考えてみようと思う。人間の意志の自由を社会学ではどのように処理しているのか。法則性の成立にとって例外性をもたらしそうな「意志の自由」は、社会学という「科学」ではどのように処理されて「仮説実験の論理」の適用がなされているのだろうか。宮台氏の社会学入門講座からそのような考察をしてみようと思う。
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by ksyuumei | 2008-07-06 10:13 | 科学


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