不確定性原理と重ね合わせのたとえ話 3

さて、干渉現象のような事実が排中律を壊すかもしれないということを考察してみようと思う。電子の属性としての色と硬さが、不確定性原理の下に両方の属性を「同時」に決定できないという前提のもとに考察をしている。色を測定すると、それが硬さに影響を与えて、硬いか軟らかいかが決定できず、その色を確定した電子の硬さは、硬いか軟らかいかが50%の確率であることしか言えなくなる。硬さを確定したときも同様だ。そのときの色は、白か黒であるかが確定しなくなる。

最初に色計で白と確定した電子は、次に硬さ計で硬いか軟らかいかが決定する。このとき、不確定性原理が働いていなければ、最初に確定した白という属性を電子は保ちつづける。しかし、不確定性原理が働くために、この電子の色はどちらか決められなくなってしまう。白だと確定しているのに、確率が50%になる。つまり、このような電子をたくさん色計にかければ、白であったはずなのに、半分は黒になってしまう。

硬さを確定したために色の属性が乱れてしまっている。これを、一度確定した硬さをまた分からなくしてしまったらどうなるだろうか。硬いと確定した電子だけを集めれば、その電子の色は白と黒が半分ずつになる。軟らかいと確定したものに対しても同様だ。それに対して、この電子をもう一度ごちゃ混ぜにして、確定した硬さが分からないようにしたらどうなるだろうか。



硬さは確定しているので、個々の電子に対しては色の可能性は50%ずつになるはずなのだが、確定した硬さが判らないようにすると、干渉現象のようなものが起こって、白と確定した電子を硬さ計に入れた後も100%白が出てくるという事実が起こる。白であるか黒であるかが確率的に分布せず、白であるほうに偏った結果が出る。このとき硬さ計は色を乱さなかったのだろうか。この現象を、形式論理を破綻させずに合理的に解釈する道を探したい。

流れをつかむために矢印で図示してみようと思う。これは次のようなステップで現象が起こるだろう。


  色計によって電子の色を判定する
    ↓
  「白」と確定した電子だけを取り出す
  その「白い」電子の硬さを硬さ計によって判定する
    ↓
  「硬い」あるいは「軟らかい」と確定された電子を、別々に色計にかけるのではなく、それが一緒になるような工夫をする(『量子力学の基本原理』では、鏡を使って、電子の流れる方向を変えて一緒にすることを考えている)
    ↓
  一緒になった電子の色を色計で判定する
    ↓
  100%「白」という判定がされて出てくる


硬さ計は色を乱すはずなのに、この場合は色を乱さずに、確定した色である白を保ったのだろうか。もしそう解釈すると、硬さ計は、色を乱すとともに乱さないという矛盾律が成立してしまう。形式論理の前提としては、硬さ計は色を乱すと考えなければならない。だから、この現象の解釈は、色を乱しているはずなのに、別の原理が働いてその乱れた色が何らかの理由で乱れが消えてしまったとするしかない。干渉現象のように、白である確率が50%から100%になるような原理が働いたために、色の属性は乱れてはいるけれど、乱れていないように見えたと解釈しなければならないだろう。

その別の原理が「重ね合わせ」といわれる発想だ。この原理が働くために、白と確定した電子が再び白として出てくる。これを理解するためにこの電子の硬さ計から色計へと至る過程の道を考えてみよう。電子は硬さ計を通るので、このときに硬いか軟らかいかが確定する。硬いと分かっている電子を色計で測れば、その50%は、白であったにもかかわらず黒になってしまう。

電子は、硬さ計を通った後に一緒になってしまうが、この電子が硬いと確定してまた一緒になるのか、それとも軟らかいと確定して一緒になるのか、どちらの道を通ったのかがわかると、色が変化するからくりが突き止められる。そのうちの50%は色が乱れるというのが不確定性原理というもので、これは形式論理の前提になっているから、否定できないものだ。そうすると、どちらを通ったかは原理的に知りえないことになる。知ってしまえば、色が乱れるメカニズムが発見されて不確定性原理に反することになるからだ。

どちらを通ったかは知りえないとしても、可能性として考えられるものは列挙することが出来る。これが無限にたくさんあると考察が出来なくなるが、色も硬さも二者択一にしているので、これは次の4種類の可能性しか考えられない。


1 電子は「硬い」「軟らかい」という両方のルートを通っている。
2 電子は「硬い」ルートを通り、「軟らかい」ルートを通っていない。
3 電子は「軟らかい」ルートを通り、「硬い」ルートを通っていない。
4 電子は「硬い」「軟らかい」のどちらのルートも通っていない。

二つずつの組み合わせとしてはこの4種類しか考えられない。これが一つに決定するようなら、不確定性原理というものが形式論理では整合的に理解することが出来ないものだと言わなければならない。これが、複数の可能性を承認するものであれば、そのどちらにも決定できないという解釈が出来るので、不確定性原理は整合的に理解できる。

さて、上記の可能性を見てみると、1と4の可能性は否定される。電子は最小単位であり、二つに分割することが出来ないので、それが同時に二つのルートに現れるということはない。事実としてそれは起こりえないということから否定される。4も同様に、どちらも通らなければ、次の色計にかけることも出来なくなるので、色計にかけて色を判定することが出来るという事実から、この可能性も否定されなければならない。

そうすると、電子が通ったルートの可能性としては2と3になるのだが、これはどちらなのかが決定できない。そう考えるのが不確定性原理を整合的に理解する道になる。不確定性原理の理解としてはそれでいいだろう。だが、これを形式論理的に、場合分けとして考察すると困ったことになる。

2と3は、原理的に知りえないことなのだが、これが、知りえないだけで本当は確定しているのか、それとも原理的に確定していないのか、ということを考えると形式論理としては困る結論が出てくる。2と3が、知りえないだけで、本当は確定しているのだと考えると、干渉現象が起こることが説明できなくなる。

2の現象が本当は確定しているものなら、その電子の半分は黒になっていなければならない。しかし実際にはすべてが白になる。これは矛盾であるから、形式論理を破綻させないためには、2と3は原理的にも確定していないと考えなければならない。原理的に確定していないというのは、どういうことなのだろうか。個々の電子の振舞いで、どちらかを通ったと考えてはいけないということだ。どちらかを通ったことがはっきりするような工夫をすれば、半分は黒になってしまうということだ。

干渉現象というものは、2と3を否定する。干渉現象が起こらなければ、不確定性原理は、形式論理の中で整合的に解釈しうるのだが、干渉現象のために4つの可能性のすべてが否定されてしまうと、今度は排中律が壊される恐れが出てくる。すべての場合が否定されてしまうと、電子がある状態になっているか、その状態になっていないかどちらかであるということが決定できなくなる。すべての場合が否定されると、これは電子そのものの存在まで危うくなる。電子は、存在する(実験が出来る)とともに、存在しない(どの状態も電子の状態ではない)と考えなければならなくなる。

これは、運動を形式論理で捉えると、「静止しているとともに静止していない」という矛盾した表現になるのとよく似ている。極微の世界という「無限小」が抽象できる世界においては、形式論理による捉え方に矛盾した表現が生じるということなのではないかと思う。運動を形式論理で捉える工夫では、極限という無限をイプシロン-デルタの論理で工夫したように、この現象を形式論理で取り扱うための工夫が、上記4つの状態のほかに「重ね合わせ」という状態を電子に認めるということなのではないかと思う。

上記四つの状態以外にもはや状態が考えられないのであれば、電子の振舞いは形式論理で取り扱うことが出来なくなる。それは神秘的なものとして分からないといわなければならなくなる。だが、「重ね合わせ」というものを上記四つに加えて、これが電子の状態を現すものだと考えれば、排中律も矛盾律も犯さずにすむ。形式論理を破綻させずに守ることが出来る。

形式論理を守るということは、それによって合理的な考察の対象にするということが目的だ。だから、形式論理を守ったからといって、それが現実にもそうであるかということは分からない。それはあくまでも抽象の世界の、想像の範囲のことでしかない。しかし、この抽象を使えば、量子論の範囲では合理的な考察が出来て、ある時点での電子の振舞いを、不確定性原理の範囲内という制限がある、確率論的な表現ではあるが、正確に予言することが出来る。

量子力学がアルゴリズムであるという評価は、このことから下されているのではないかと思う。量子力学は、形式論理の整合性を保つために重ね合わせという考え方を導入したが、そのおかげで電子の振舞いの数学的表現を手に入れ、その方程式を解くことによって、ある時点での振舞いを正確にいうことが出来るようになったのではないかと思う。方程式を解くことはアルゴリズムであり、それこそが量子力学の本質ということになるのだろう。

このとき、重ね合わせというものが現実にどういうものであるのかというのは人間には知りえない。それは、整合的に解釈するために導入された抽象であるから、現実にはその現象を具体的に見ることは出来ないのだ。これは、現実感覚からはかけ離れたものであるが、感覚との整合性よりも、形式論理成立のための整合性が選ばれたということだろうと思う。そうでなければ合理的な思考が出来ないからだ。

重ね合わせという発想が、現象をうまく説明するのにいかに役立つ発想なのかというのを今度は考えてみたいと思う。また、マクロの世界では重ね合わせという発想を使わなくても現象が整合的に理解できるということの理由を、形式論理の観点からはどう捉えたらいいのかということも考えてみたいことだ。
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by ksyuumei | 2007-06-29 09:54 | 論理


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