本多勝一さんは、かつて「事実と「真実」と真理と本質」という文章で、これらの言葉を比較して、その意味を論じたことがあった。そのときに、これらの言葉の辞書的な意味を調べた部分で次のように書いていた。
「そこで平凡社の『哲学辞典』を引いてみますと、「真理」の項目にはギリシャ語 aletheia 、ラテン語 veritas 、ドイツ語 Wahrheit 、フランス語 verite 、英語 truth 、というふうに、まずヨーロッパ語が並べられていて、真理についての歴史的経過が述べられています。これを読むと、真理というものはそれぞれの立場によって違うということが分かる。キリスト教の真理、スコラ哲学の真理、カントの真理、弁証法的唯物論の真理……。当然ながら、ニクソンの真理、佐藤栄作の真理、殺し屋の真理、殺される側の真理……と、それぞれ違うことになります。」 この部分に書かれている、<真理がそれぞれの立場にとって違う>ということは、本多さんのここでの論説の本論となっているものではないが、これはちょっと説明が必要なものではないかと僕は感じた。本多さんが主張していることは間違いではないと思う。しかし、この主張を文字通りに受け取って、真理はそれぞれの立場によって違うのだから、客観的に誰もが賛成するような真理はないのだと解釈してしまうと間違えると思う。 社会的な立場というのは、具体的に考えるとそれぞれ個性をもっている。したがって、その個性を前提とした真理というのは考えられる。だが、その個性を捨象して、立場を解消することもできるのである。そうなれば、抽象的には具体的な立場を持たない真理が存在する。それが科学的な真理となるのだと僕は考える。 本多さんが語っているそれぞれの立場によって違ってくる真理というのは、仮言命題的な意味での真理なのだと思う。つまり、ある立場を前提として、その前提の下での結論がどうなるかということを考えているのだ。この真理は、常に前提が存在するのであって、前提なしに一般的に成立する真理ではない。記号で表現すれば、 A ならば B という仮言命題において、Aに当たる前件の部分に立場というものが入ってくるのである。その立場に立ったときに、Bという結論が真理となるという意味での「真理」なのだ。この結論のBは、無条件に成立する真理ではない。ニクソンの真理とは、ニクソンの立場に立つという前提を設けたときに真理となるような命題のことを指す。ニクソンの立場に立ちたくない人にとっては、その結論だけを提示されても、それは少しも真理ではない。しかし、あえてニクソンの立場に立てばそれが真理だと判断できるものが「ニクソンの真理」なのだ。 前件のAに当たる立場が個性の強いものであるときは、その個性に合致するものは少なくなるので、その真理に賛同する人間も当然少なくなるだろう。その立場に立てない人間にとっては、その結論は受け入れがたいものになるに違いない。しかし、そんなときでも、仮言命題としての論理の展開に間違いがなければ、それは仮言命題としては真理なのである。仮言命題というのは、結論そのものを取り上げるのではなく、前件から結論を導くその論理過程の正しさについて語っているだけだからだ。 科学的真理というのは、この前件Aの中に社会的立場がほとんど入り込まないものを立てる。自然科学などは、どのような社会的立場であろうとも承認せざるを得ない観測から得られたデータを前提にして考える。社会科学になるとここに、考察する人間の社会的な位置というものが具体的に入り込んでくる可能性はどうしても排除できない。だから、社会科学は長い間「主義」という言葉で呼ばれて、自然科学のような客観性を持たないものとされていた。しかし、社会科学であろうとも、考察する人間の社会的立場を最大限排除して捨象することができると僕は思う。板倉さんが展開している、統計資料を元にした歴史考察などは、その一つの可能性を探るものだろうと思う。 科学は、考察する人間の社会的立場を出来るだけ捨象して、立場を越えた客観性を持たせるように努力する。だから僕はこれを信用できると思っているのだが、科学でないものは、しばしばこの立場を強引に固定して、その立場がひとつの前件に過ぎないことを忘れて、結論を無条件に真理だと主張する場合がある。その最たるものは政治的プロパガンダではないかと思う。 今話題になっている「従軍慰安婦」問題や、かつて話題になっていた「南京大虐殺」問題なども、政治的プロパガンダという意味を強く持っているものだ。この政治的プロパガンダを、立場による真理に違いがあっても当然だという考えで容認することは、政治的プロパガンダとしても逆効果を招くのではないかと僕は感じる。昨今のバックラッシュと呼ばれる左翼たたきの現象は、この逆効果によって生まれてきているのではないかとも感じる。 政治的プロパガンダにとっては、「従軍慰安婦」の問題は、日本という国家がその大きな責任を持っているのだということを強調したいだろうと思う。そのときに、「強制連行」の責任の大半が国家にあることを主張できれば、そのことによって日本の責任追及がやりやすくなる。しかし、このプロパガンダが、実は事実としては間違いだった、つまり立場を越えた客観的前件から見ても間違いだったと分かった場合は、今まで日本という国家を追求している立場にいた人たちからは真理と見えていたものが、今度はその人たちを攻撃することの正当性を保障する前件となってしまう。 嘘も宣伝の道具にするというのはナチスが用いた手段で、これは確かに政治的には効果を発揮した。しかし、ナチスの末路を見ると、この効果は短期的なものであって、長期的にはやはり正しい政策がなければ、嘘からスタートした支持はいつかは破綻するものではないかと思う。政治的プロパガンダが、嘘を利用してでも宣伝効果をあげようとするのは、ナチスの失敗を繰り返すことになるのではないだろうか。 「従軍慰安婦」問題での「国家による強制連行」という問題は、ナチスのように意図的な嘘で宣伝したものではなく、認識の間違いから生じたものだろうと思うが、それが結果的には日本における左翼たたきにつながったという点では、やはり、無条件に立場の違いによる真理があるのだということを容認してはいけないのではないかと思う。 宮台氏が言う、この「国家による強制連行」があったというのは<左翼の嘘>だという主張は、国家の責任を追求する立場からは真理と見えるものを単純に信じてはいけないという戒めを語っているのではないかと思う。それは願望を事実と勘違いしているのではないかと思う。その間違いは、実は国家の責任を追及する立場にとっては、かえってマイナスに働くようなものになるからこそ戒めとしなければならないのではないだろうか。そのような戒めの意味として、宮台氏は、「新しい歴史教科書を作る会」が、この<左翼の嘘>を暴いたことを評価しているのではないかと感じた。 立場によって確かに真理は違ってくる。心が通い合わなくなった夫婦にとって、日常の同じ行為が、夫の立場と妻の立場ではまったく違った意味を持ってくるだろう。そのとき、両者は、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているのではなく、どちらかの立場に立って見てみればどちらも真理を語っているのだと思う。それは、それぞれが自分の視点で事実を見ているから、前件が違ってきてしまい、そのために結論が違ってくるのだと思う。 このとき、この夫婦のそれぞれの立場を越える視点が見つかれば、その前件から得られる結論は、ある意味で客観的なものになりうる。それは、夫婦のそれぞれ、夫や妻にとっては受け入れがたい結論かもしれないが、第三者にとっては妥当だと思えるような結論になるだろう。立場によって真理は違ってくるが、その立場をできるだけ大きなものにしていく努力はできるのではないかと思う。それが科学的な思考の方向であり、公的な妥当性を持った結論へ導く道ではないかと思う。 三浦つとむさんは、真理はいつでもその条件によっていると語っていた。真理は、仮言命題として捉えることが真理の本質的な理解なのだと思う。真理は立場によって違う。仮言命題の前件を変えれば、結論も違ってくる。それは結論が違うからといって間違いではない。結論を導く論理に間違いがなければ、その前件を置いたときの仮言命題としては真理になるのである。立場によって違う真理というのはそのように理解しなければならないだろう。 安倍総理が「国家による強制があったとする証拠はなかった」という言い方をするとき、それに感情的に反発することなく、どのような前件のときに、この結論が真理となるのかを吟味する必要があるのではないだろうか。そして、「強制」という言葉の意味を恣意的に判断して、国家の責任を追求するという、自らの立場だけから真理を認定しようとするのは、将来的なマイナスを引き起こさないかを考えなければならないと思う。 国家による強制がなくとも、国家の責任は追及できると思う。「従軍慰安婦」の問題は、民間の業者の責任が大きいとしても、それを規制せず、逆に利用していたような面があるとすれば、国家の責任は重大なものになるだろう。嘘でも、利用できるものは利用して責任を追及するのではなく、正当な論理で追求できる方向を考えなければいけないのではないかと思う。
by ksyuumei
| 2007-03-06 10:26
| 真理論
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