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瓜田に沓を納れず、李下に冠を正さず

『期間限定の思想(おじさん的思考2)』(晶文社)の中で内田樹さんがタイトルのような古諺を使って面白い公人論を語っている。政治家を始めとする「公人」は、どのような存在でなければならないのか、それを実に分かりやすく直感的に理解出来るように語っている。

タイトルの古諺の意味は次のようなものである。


「瓜田に沓を納れず李下に冠を正さず
(かでんにくつをいれずりかにかんむりをたださず)

 疑惑を招くような行為は避けた方がよいということ。瓜の畑で靴を履き直せば、瓜を盗んでいるのではないかと疑われ、李(すもも)の木の下で手をあげて冠の曲がったのを直すと、李を盗んでいるのではないかと疑われるというたとえから、疑わしい言動を戒める。」




この古諺は、「公人」にかかわらず全ての人に教訓として大切なことを語っている。疑いを晴らすと言うことは難しいものだ。何かがあることを証明するのは、それが本当にあるものであれば、何らかの存在の痕跡を見つけることが出来るので成功することが多い。しかし、疑惑がないことを証明するのは、ないという「無」を存在として提出することが出来ないので難しい。

だから、疑いを持たれるようなことは出来るだけ避けるというのは、戦略としては正しいものだ。頭のいい人間だったら、それくらいのことを考えて行動することだろう。

さて、疑惑を持たれたときに、普通の人間であれば、その疑惑が100%確実だということにならなければ断罪をされることはない。疑わしきは罰せずという原理だ。今の日本では実際にはそれが実現されていないようだが、原理としてはこの通りだろう。

しかし、「公人」という存在については、疑われただけでアウトなのだというのが内田さんの主張だ。内田さんは次のように語る。


「通常の法諺は「疑わしきは罰せず」であるが、役人や政治家にはこの原理は適用されない。官人は「疑われたら罰される」。
「疑われたら、おしまい」という例外的なルールが適用されるのは、官吏や政治家は「市民」ではないからである。
 市民の人権を保護する規則は彼らには適用されない。」


「公人」は疑われただけでおしまいだというのは、僕には直感的にそうだと感じるが、そう感じない人もいるだろう。だから、このことは論理的にも整合性があるかどうか確かめておいた方がいいと思う。内田さんは、「官吏や政治家は「市民」ではない」と言うことを、そのような扱いをすることの理由にしている。これはどういう意味だろうか。

「市民」というのは、普通の人々を指す言葉として内田さんは使っている。この普通の人々の間では、その権利に関しては、誰も平等であることが建前になっている。基本的人権は、「市民」でありさえすれば誰にでも認められる。誰からも侵害出来ないし、誰かを制限する権利も「市民」にはない。

しかし、「官吏や政治家は他人の私権を制限する権能を持たされているのである」と内田さんは語る。確かに、政治家は法律を作る権限があるし、法律は全ての「市民」を束縛する力を持っている。「私権を制限する」ことが出来る。官吏と呼ばれる役人も、その立場において、任務の遂行に関わってくる人々を制限することの出来る権能を持たされているだろう。公立学校の教師も、役人としての面を探せば、生徒の評価や指導において、生徒の行動の自由を制限する権能を持っていると言えるのではないかと思う。

このような他人の私権の制限の権能は、あくまでも公的に行使しなければ、その弊害は大きいものになる。「公人」は、その行動において、「公人」のままで私的利益に関わる行動をしてはいけないのである。特に、大きな権限を持っている人物、政治家などは、実際に犯罪行為を行った後に責任を追及されるのではなく、それが行われなかったとしても疑惑を持たれた段階で責任を追及されることに論理的な整合性がある。

これは、「世間を騒がした」と言うことの責任追及ではない。疑われるような行為をしたということで、「公人」としては配慮が足りなかったと言うことの責任追及だ。どのようなことをすれば疑われるかと言うことに、「公人」は敏感でなければならない。それが「公人」としての資質の一つだろう。

「官吏や政治家に私権はない」と内田さんは言う。それは次のような意味だ。


「株式市場の動向を左右するようなインサイダー情報を得られる(かも知れない)立場にある人間には、株の売買をする権利はない。新幹線計画を知っている(かも知れない)人間には、建設予定地の土地を買収する権利はない。
 間違えないで欲しい。「知っている人間」がではない。「知っている(かも知れない)」人間である。「知っている--と想定されている--主体」には私権は認められない。と私は申し上げているのである。
 本人が「私は知りませんでした」といくら言い張っても、「知っていたと想定された」場合、それは「知っていた」と同じことである。なぜなら、公人とはまさに「想定される」という仕方でのみ機能する社会的装置だからである。」


実に明快な論理だと思う。「公人」というのは、実際に秘密情報を知っていなくても、秘密情報を知っていたら利益になるような行為をすれば、行為をしたことで疑惑を持たれ、それで断罪されても仕方がない存在だと言うことだ。たまたま利益を挙げただけで、知らなかった、と言ってもいいわけにならない。「知っている」という疑惑を証明出来なくても、知ることの出来る可能性を持った位置にいて、その知ったことで利益を挙げられると考えられる行為をしていたら、それでもうアウトだというのが「公人」という存在だ。

これは実に明快な論理で、これからは「公人」をこのような観点から見ていこうと思う。残念ながら日本では、このような高い倫理観を持った「公人」は少ないだろうから、「公人」にあるまじき行為をしている人間は多いだろう。自分の権限が絡んでいるもので利益を挙げるなどと言うことはあってはならないはずなのに、そうしているような「公人」にはお目にかかることが多いに違いない。その時に、確かに不正が行われているという証拠は、「公人」の場合には必要ないのだ。そのような、極めて怪しい行為をして疑惑を持たれると言うことだけで、「公人」としては失格になるのである。

内田さんは次のようにも語っている。


「古人は「官途につく」と言うことを「ユージュアリイ・サスペクツ」として「世間の疑いのまなざし」に身をさらし続けるような生き方を選ぶと言うことだと道破していた。
「冠がずり落ちても」「沓(くつ)が脱げても」我慢しなければいけない。確かに、帽子がずり落ち、靴が脱げれば、さぞやご本人の気分は悪かろう。悪かろうがそれを我慢する他ない。そこで「普通の人」のような反応をしたら、その瞬間に周り中から「ドロボウ」と追い回されるのが公人というものである。
 その意味では、今回名前が挙がっている人々はことの真相が法廷で決着する以前にもちろん全員「お疲れ様」である。たとえ事後的に潔白であるとされたとしても、一度「ドロボウ!」と「言われたら」もう「おしまい」というのがここでのルールなのだから。
「ドロボウであるかどうか」ではなく、「ドロボウと想定されるかどうか」で判定する、というのが公人の基準である。だから、「訴状を見ていないからコメント出来ない」とか「法の裁きを待って進退を決する」とかいう者は、このルールがぜんぜん分かっていないということである。
 それはボクシングの試合が終わったあとになっても、「私と彼とどちらが本当の勝者であるかは、どちらが先に死ぬかを見極めない限り結論が出ない」と称して、墓場に行くまで敗北を認めないボクサーのようなものである。
「試合」は終わったのである。「あんまりだ」と泣かれても困る。そういうルールでやる、ということに大昔から決まっているのである。大昔から決まっているからこそ、中学の国語の教科書に載っていて、将来政治家や官僚になるかも知れない子どもたちはあらかじめ釘を刺されていたのである。」


「瓜田に沓を納れず、李下に冠を正さず」というのは、中国の古い諺だろうと思う。大昔の人でさえこのような認識に達していたのに、現代日本人は、なぜこのような論理的理解に達しないのだろうか。

「公人」と「市民」とは違うということから、疑惑への扱い方の違いも出てくるという論理は、「公人」と「市民」の自由の違いということも考えられるのではないだろうか。ある職を辞するとき、本人の意志の自由によってそれを決定するのは「市民」としては、自由であり権利である。それは、「公人」にとっても同じように意志の自由が保障されることになるだろうか。

公人として何らかの回答の責任があったり、説明の責任があったりするときに、その回答や説明の義務がある立場を辞することは、意志の自由の問題だと言えるだろうか。それが、公人としての重みを持てば持つほど、意志の自由は制限されるのではないだろうか。

誰だったか忘れたが、何らかの公的な説明が必要になった立場の人が、休暇を申請してきたときに、その上司は次のような措置をしたという。それは、必要な説明をしなければならないときに、その人がいなかったら、説明を逃げたと思われる恐れがある。そのような疑惑を生んではいけないということで、疑惑の恐れが想定される状況では、休暇の申請に許可を出さなかったということだ。たとえ逃げるための休暇ではなくても、逃げたのだと思われることを避けるために休暇を与えなかったという措置は、公人としての態度を考える上で教訓的なものではないかと思う。
by ksyuumei | 2006-09-23 18:29 | 内田樹


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