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偏見が生まれてくる前段階について

コメント欄にもいくつかコメントをいただいているが、今は自分にそれに答えるだけの余裕がないので返事が書けないでいる。決して無視しているのではないが、今は冷静に他のものにまで目を向けることが難しいと言うことで理解してもらえればと思う。今は、自分の失敗を見つめることで精一杯で、他のことを冷静に見つめる自信がない。今しばらくは、自らの誤謬をしっかりと見たいと思う。

さて、僕が「フェミニズム」というものに偏見を抱く前段階として、あるトラウマ体験が深く関わっているような気がしてならない。以前にもちょっと触れたことがあるが、ある冊子の誤植を巡って追求されるという体験をしたことがある。その当時の僕は、ある組織の事務局長をやっていた。冊子というのは、その組織の大会の記録をまとめたものだった。

これにいくつかの誤植があったのだが、当時の僕は事務局長とは言え、この記録冊子の制作には一切関わっていなかった。それは、それを担当するものが他にいて、そこが全面的にその制作を担っていたのだ。これは当然のことで、僕は教員をやりながらその組織の事務局長をしているのであって、その仕事を専門にしているわけではない。だから、具体的な処理の仕事は分業で当たるのが当然だろう。




だから誤植について追求されたときに、その追求そのものがひどく不当なものだという憤りを感じた。しかもその誤植については、制作担当者の方から正誤表が提出されていて、それなりの責任を取っていると言うことがあった。誤植はミスには違いないが、そのミスの責任は取っているという認識が僕にはあったので、さらにそれを追及してくると言うことは不当ではないかという感じを抱いていた。

しかし追究の本質が、単純な見間違いという誤植の指摘ではなく、その誤植に無意識の差別意識が現れているのではないかというものに及んだとき、僕はさらに不当性が高くなったのを感じてますます憤りの気持ちが高くなった。

無意識への追求というのは、本人には分からないのでそれは完全に否定することが出来ない。本人がそれを分かっているなら、無意識ではなく意識的なことになるはずだからだ。だから、無意識というような追求は間違いだと僕は思った。無意識を追求するのではなく、もし差別意識がかいま見えるというのなら、どこからそれが判断出来るかというのを、無意識ではなく具体的な存在として示さなければ納得出来ないと思った。

無意識の内容というのは、それが存在することを証明するのも難しいし、それが存在しないことつまり否定することも難しい。そんなあやふやなことを基礎にして議論すべきではないと言うことを感じていた。だがその追求に対して強く否定していたのは僕だけであり、それを応援してくれる声はなかった。これは僕にはトラウマ経験として残った。相手の不当な主張が、民主的には許容されてしまったのかという落胆が僕の中に残った。

僕はそれ以来、その組織での活動への意欲を失った。事務局長という職を降りた後は、ほとんど何の協力的な位置には着いていない。これもトラウマ経験から来るものだ。

僕が体験したものは、暴論による差別糾弾運動とでも呼べるものだった。不当な差別を告発する行為は正しい行為だ。しかし、それが暴論を元にしたものだったら、正しい行為だったものが不当な行為になる。真理が誤謬に転化するのだと感じた。

無意識の中にある差別意識が、ある偶然から表に現れるということはあるだろう。しかし、それはそう言うこともあると言うことであって、すべての事柄に無意識が反映してくるのではない。解釈によっては差別のあらわれであると解釈されることであっても、それが必ず無意識の中の差別意識の現れであると言えるかどうかは、深い分析が必要なのだと思う。

誤植した文字を見ただけで、そこに無意識の差別意識が潜んでいるなどと言うのは暴論だ。そのところに僕は強い憤りを感じた。人間の無意識を問題にするのなら、もっとデリケートな深い分析が必要だろうと思ったのだ。

人間の無意識には、何らかのうちに不当な差別感が住み込む可能性はある。それが顔を出すこともあるだろう。しかし、それは顔を出したときに意識化して修正することも出来る。むしろ、私には一切の差別意識はありませんというような意識の持ち主は、その修正が出来ないのではないだろうか。差別意識は、小さいうちに修正出来ることが大事で、それをすべて払拭することが出来ると考えてはいけないのではないか。

もしすべて払拭しなければならないとなったら、どんなに小さなものでも追求せざるを得なくなるだろう。これは、極端な暴論ではないかと僕には感じられる。社会的な影響の大きなものを教訓として、人々が自らを反省して間違いを訂正していけるように図るべきではないだろうか。

無意識の心を追求することには危険な暴論に陥る危険性があると思った。このような危険性が「フェミニズム」にもあると、僕は短絡的に判断してしまったようだ。それが偏見から生まれた間違いであり、偏見そのものと言えるかも知れない。

僕が自分の体験にとどまる限りで、そこで体験した誤植の追求というものの不当性を考察していただけなら、僕はその不当性の指摘を間違えることはなかったのではないかと思う。具体的な存在に即した論理は、それが的確に存在を捉えていれば間違いはしない。

しかし僕は、自分の体験から、「無意識の心を追求することは論理の暴走を生む」とか、「前提とする正義を絶対的に正しいものとすれば教条主義を生む」とか言うような一般法則を導く論理を展開した。これは、抽象が正しい限りにおいては正しいのだが、それを具体的な存在に適用するときは、抽象の過程を正しく理解して、それが適用出来る条件を十分吟味しなければならない。抽象論の現実の応用にはそう言う難しさがある。

それが自然科学的なものであれば僕もかなりの注意が出来た。引力の法則では、重力加速度は質量にかかわらず一定だというものがある。ガリレオの有名なピサの斜塔での実験などはそれを確かめるものだと伝えられている。大きな鉄球と小さな鉄球を同時に落とした場合、二つは同時に地上に達するという実験だ。大きさにかかわらず重力加速度は一定というわけだ。

ところが、小さな羽と同じ重さを持った小さな鉄球を同時に落とすと、これは羽の方がゆっくり落ちる。この場合は、その形状が、空気の浮力という抵抗を受けやすいという条件が入ってくる。正しい法則が、そのまま現実と直結しない特別な場合だ。これは「重力加速度は一定」という抽象法則がそのままでは反映しない現実になっている。

社会法則の場合も、「無意識の心を追求することは論理の暴走を生む」とか、「前提とする正義を絶対的に正しいものとすれば教条主義を生む」とか言うような一般法則は、現実の対象がこの法則を適用するにふさわしい条件を持っているかを吟味しなければならなかった。「フェミニズム」という対象に関しても、このような条件にふさわしいかの検討を具体的にしなければならなかったのだ。ところが僕はそのようなことをせずに、この法則を短絡的に「フェミニズム」に押しつけてしまった。これがそもそも失敗の始まりだった。

なおそれが失敗だと気づかなかった「構造的無知」の中にあった頃は、僕がこの法則を押しつけたのは、本物の「フェミニズム」ではなくて、「暴論を犯すようなフェミニズム」なのだという強弁をしてしまった。これは全くの詭弁で、自分の間違いをさらに間違った方向へと導く論理の転落になる。

そもそも「暴論を犯すようなフェミニズム」という規定は、最初から自分の都合のよい結論を出すために設定した対象に過ぎなかったのだ。このような対象を設定出来れば、自分の論理はいつも正しさを獲得出来る。しかしそれは論理としてはナンセンスである。他人がこのようなナンセンスな論理を展開しているときは、それが僕にはよく分かった。こんなご都合主義の論理なんかは少しも証明にはなっていないと言うことがよく分かった。

しかし、自分がそれを展開しているのに、それにまったく気がつかなかったというのは、やはり「構造的無知」というのは恐ろしいものだ。

事実の解釈から出発して、その視点を意識しつつ、どのような違う視点があるかにも注意しつつ論理を展開すると言うことが弁証法のはずだったのに、僕の「フェミニズム」批判は、事実から出発しなかったことが失敗の大きな原因だろうと思う。それは、事実ではなく自分の頭の中にあった妄想的な「フェミニズム」像から出発してしまった。この妄想を抱いていたのが失敗だったというのはよく分かるのだが、なぜこのような妄想を抱いたかと言うことは、まだ僕の無意識に属することのような気がしてはっきりとは僕に分からない。

僕は学校現場にいたので、男女別の出席簿を廃止して男女混合にしたという噂は早い時期から聞いていた。しかしその多くは使いにくくて仕方がないという感想とともに聞いていた。男女混合にすると、男女別にして処理しなければならない仕事には使いにくくて仕方がないのだ。多くの医療的な診断・検診などの場合がそうだし、他にも考えればいくつかあるだろう。

このときに、例えば欠席者を確かめたいと言うときに、名簿を見ただけでは対象の生徒がどこに載っているかがわかりにくい。学校現場では、名簿などは使いやすさを最優先させてもいいのではないかと僕は思っている。男女別が、ある種の思想を表しているというのが、ある意味では正しくても、それがひどく使いにくいものであるなら、そのような思想性ゆえに男女別にするのではなく、使用するときの効率性のゆえに男女別にしているのだと考えれば、男女別の名簿が存続する合理的な理由もあるだろうと思った。

それを何でもかんでも男女別にしなければ、それは男優位の思想のあらわれだと考えるなら暴論であると思っていた。当時は、これとフェミニズムを直結するような発想はなかったが、どこかでこれをつなげるきっかけがあったのだろうと思う。そのきっかけは今のところ分からない。それが解明出来たら、僕の偏見の解明も一応の終着点を迎えるかも知れない。
by ksyuumei | 2006-05-24 10:45 | 雑文


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