世論調査の信頼性

アッテンボローさんの「毎日新聞世論調査に異議あり」というエントリーを読んで、世論調査についてマル激で語られていたことを思い出した。その時に語られていたのは、世論調査における統計的な誤差についてだった。

統計というのは、あくまでも全体への推計を提出するものであって、ある標本集団(世論調査をした対象の人々)の分布が、そのまま全体の分布になるものではない。そこにはいつでも誤差というものが現実には伴う。その誤差を認識して世論調査を見なければならないと言うものだった。

統計的な意味での誤差というのは、世論調査が技術的に問題がないとしても、数学的に存在するものであるからゼロにすることは出来ない。これに加えて、世論調査そのものが技術的に問題があれば、数学的誤差以上に信頼性が低下することは間違いない。このあたりの技術的な問題は、質問が不適切であるという指摘でアッテンボローさんが語っていた。




「毎日新聞の調査では、改憲に賛成する意見について「時代に合っていない」「一度も改正されていない」「自衛隊の活動と9条に乖離がある」「米国に押し付けられた」「個人の権利を尊重しすぎている」という選択肢しか用意していないのだが、前の三つの選択肢はその中にどちらの方向からの改憲論も含みうる。」


ここで言っている「三つの選択肢」に関連したことは、アッテンボローさんが引用している、NOGIさんという方の「華氏451度」というブログの「「世論調査の陥穽」ということ」というエントリーに語られている。これは、放送ジャーナリストの岩崎貞明さん(元テレビ朝日、現『放送レポート』編集長)という人の話をまとめて書かれたものだ。そこでは、


「昨年1月、NHKスペシャル『シリーズ憲法』で憲法改正世論調査がおこなわれた。その結果は9条を「改正すべき」と「改正すべきでない」が共に39%だったが、実は「改正すべき」のうち約3分の1〈11%〉は「軍事力の放棄をもっと明確にすべき」という意見であった。つまり、同じく改正を望むと言っても、「自衛軍を創る・集団自衛権を認める」と「非武装を徹底させる」という逆方向の意見があるわけで、「これを一緒にカウントするのは変」と岩崎さんは指摘する。」


と書かれている。つまり、アッテンボローさんが指摘した「三つの選択肢」は、無前提にそれを読んでしまうと9条の平和条項にネガティブな、マイナスイメージをもたらすものとして読めてしまうが、実際には9条を評価するプラスイメージをも伴うものなのである。

実質的には9条を改正する方向は多様であるにもかかわらず、マイナスイメージを持ってその方向を考えれば、自衛軍の創設という統治権力の意図する方向の賛成が多いように読めてしまう。この指摘は、まことに正当な批判で、統計的な誤差以上に誤差を大きくする質問になっていると言えるだろう。技術的に非常に問題があると言える。

宮台氏は、このように交叉する評価を伴う質問の場合は、まずは対立する質問をして基本的立場を明確にした上で、どちらを選ぶかという質問をすべきだと語っていた。上の場合で言えば、基本的な立場としては、憲法は平和維持を謳うのを第一とすべきかどうかということになるだろうか。あるいは、軍事力を強化して自衛を第一とすべきだと判断するかを問わなければならないだろう。もちろん、これは難しい選択であるから、どちらか分からないと言う選択肢も必要だろう。

その上で、平和維持を第一にした人たちは、平和が脅かされる事態の時には、具体的にはどのような対処がふさわしいかという質問に展開していくだろうし、軍事力強化を第一にした人たちは、そのことに伴うマイナスに対し、例えば財源的な問題などに対してはどのように考えているかと言うことに問題を展開していかなければならないのではないだろうか。

この判断が難しいものであればあるほど、どの立場に立つことを基本にして、そこから来るマイナスにどう対処するかと言うことが違ってくるはずだ。もし、この立場を自覚していないと、両立不可能なことを願うというねじれた現象が出てきてしまうからだ。

平和を願って軍事力強化に反対しながら、紛争に巻き込まれたときは国家に守ってもらうことを期待したり、軍事力強化を謳いながら、紛争の時は自衛よりもアメリカを頼ったりするような、論理的なねじれを自覚しない回答が出てくる可能性がある。

宮台氏は、小泉内閣に対して、かつての高度成長のころの経済回復を期待して支持するという世論調査の結果を、両立不可能なことを願う、願いだけの回答と語っていたことがあった。小泉さんの路線は、いわゆるネオリベ路線と呼ばれる優勝劣敗を基本とするものだから、全体が豊かになるような高度成長のころの経済復興はあり得ない。勝者として豊かになるものもいれば、敗者として貧しくなるものもいるという、いま話題の格差が出来るのが必然の方向になる。

小泉さんの路線は、優者がますます金持ちになり、大多数が敗者として我慢する生活を基本とするような社会なのだ。その小泉さんを支持すると言うことは、みんなが豊かになると言うような夢は捨てたと言うことを意味する。だから、それを願うという世論調査は、大多数の気分としてはそうなのかも知れないが、それは多くの日本人が間違った認識を持っていると言うことを示しているに過ぎない。

華氏451度のNOGIさんが、ブログで指摘しているように、


「人が何かを選択する場合、重要なのは「なぜか」という理由である。理由抜きでイエスかノーかを尋ねた調査や、理由を聞いたとしてもそれを軽視して数字的な結果だけを発表した調査というのは、危険きわまりない。」


というのは、まったく正当な批判であると思う。「なぜか」という理由を問わない質問は、気分で選ぶような回答になり、両立しない願いを抱いていることを確認するだけと言うことにもなりかねない。それは世論調査というものではなく、日本人の平均的認識がいかに間違っているものであるかを証明するような調査になるだけだ。

世論調査の結果は、単純な賛成・反対の分布として、多数決の方向を決めるという民主制の悪用に利用される。しかし多数決の結果というのは、その判断が正しいとは必ずしも言えないものなのだ。むしろ多くの人が間違っていたと言うことの証拠を示しているだけと言うこともある。

天動説を大部分の人が信じていた時代だったら、世論調査をしてみれば天動説賛成が多数を占めるだろう。しかし、天動説は論理的に間違っていたので、その間違いが深刻に影響を与える場面では判断を誤った結論を出した。世論調査というのは、あくまでも、社会の大部分の人がどのような認識を持っているかと言うことを示すに過ぎない。

論理的に正しい帰結が出せるものに関しては、世論調査で結果を図るのではなく、あくまでも論理的な判断をしなければならないだろう。両立不可能な判断は、両立しないという前提の基に考えるべきだ。その前提の基で、どちらを選ぶかという判断をしなければならないだろう。両立可能な問題に対しては、そのどちらを選択したら、どのような結果が導かれるかという予想の基に選ぶべきだろう。決して気分で選ぶ問題ではないことを、気分で選んではいけない。

どの映画が好きかというような調査なら気分で選んでもいいだろうが、憲法を変えるかどうかという問題は気分で選ぶ問題ではない。もしそれを気分で選ぶ人間が多かったら、日本社会の民度は、まだその問題を語る水準には来ていないのだ。世論調査などの対象になる問題ではない。だから、それから得られた結果は、まったく信用することが出来ない。

毎日新聞の世論調査とその報道は、技術的にかなりの問題があることがアッテンボローさんとNOGIさんの指摘でよく分かった。それに加えて、憲法改正に関して、日本社会が世論調査が信頼出来るレベルに来ているかという問題があるように僕は感じる。世論調査をする以前に、日本では憲法に関する正しい議論がもっと必要なのではないだろうか。憲法の何たるかが、法学部出身者でさえもよく分かっていないと宮台氏は指摘していた。ましてや法律の素人には、憲法は言葉の上での名詞程度の理解しかないのではないか。

憲法の本は売れないし、憲法の集会は人が集まらないという。憲法に関しては、まだまだ議論が少なすぎるのだろう。だから、憲法についての判断を問いかけるという世論調査は、まだ時期尚早なのだと思う。その結果は、ほとんど信頼出来るものは無いと僕は思う。
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by ksyuumei | 2006-03-06 09:31 | 論理


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