論理トレーニング6 逆接の論理

野矢さんは、逆接の論理を、接続詞とともに次の4つに分類する。

1 転換  A-転B :「が」「しかし」
2 制限  A-制B :「ただし」

3 譲歩 譲A-転B :「たしかに」…「しかし」
           「もちろん」…「しかし」

4 対比  A-比B :「一方」「他方」「それに対して」
  対比図       --A「対比のポイント」
    「対比の主題」-|
             --B「対比のポイント」

「転換」と「制限」は合わせて理解した方が分かりやすい。AとBの主張のどちらに重点がおかれているかで、「転換」と「制限」の区別がつくからだ。




Aの話題を転換して、主題としてはBを主張したいときは「転換」の構造を取ることが論理的になる。だが、Aの主張が主であって、その中の例外として制限を設けるときには、「制限」の論理構造を取ることになる。どちらの主張が主であるかという判断で、この両者を区別する。

 例1 「この店はうまいが、高い」   「高い」が主題
 例2 「この店はうまい、ただし高い」 「うまい」が主題

逆接というのは、最初の主張とは違う・対立した主張に論理展開がつながっていく。その対立がどこにあるかが、構造的につかまれる。展開という構造では、全面的にその対立が展開されている。だから、これを理解するには、どの面が対立しているかというその側面を理解することが最も重要になる。

 例3 「この店は高いが、うまい」

という逆接では、「高い」という判断から、その店の総体評価が低くなるという思いが生まれる。しかし、「うまい」という判断からはその評価は高くなるという思いも生まれる。つまり、評価の面での「高い」と「低い」が対立していると考えられる。一般化すると、野矢さんは

 「A(それゆえCと考えられもするが)、しかしB(それゆえ非Cである)。」

と表現している。一方

 例4 「この店は安いが、うまい」

という逆接では、「安い」という判断が「まずい」という判断に結びついてくるが、予想に反して「うまい」という判断が出来ると、それが逆接になる。「まずい」と「うまい」という判断が対立していると考えられる。一般的には、

 「A(それゆえ非Bと予想されるかも知れないが)、しかしBである。」

転換は、このように全面的な評価・判断において対立する面を捉えるときに使われる論理だ。それに対して、制限の方は、対立が全面ではなく一部にとどまるときに使われる。総体的な評価としては変わらないが、その一部に関する評価でマイナス面を持っていると考えるような対立であり逆接だ。

 例5 「この店はうまい、ただし高い」

という判断では、「うまい」という判断は堅持したまま、例えばそこで食事をするかどうかという判断の要素として「高い」というマイナス面があることを指摘することで、高い評価が基本にあるものの、低い評価も一部存在しているという対立の論理構造を表している。

それぞれの表現と、その店で食事をしようという判断とは、次のように結びつくように感じる。

 転換1 「この店はうまい、しかし高い」 …この店で食べるのはよそう。
 転換2 「この店は高い、しかしうまい」 …ちょっと奮発してこの店で食べよう。
 制限  「この店はうまい、ただし高い」 …この店で食べるのは迷ってしまう。

譲歩の場合は、Aの主張をいったんは認める言葉を付け加える。これは、Aの主張が自分の主張であれば、そのような言葉は必要がない。単にAと判断したと言えばそれですむ。わざわざそのような言葉を付け加えるのは、それは自分の主張ではないけれど一応は認めようと言う、相手に対する譲歩の気持ちがあると考えられる。

 例6 「たしかにこの店はうまい、だけど高すぎる。」

というふうに、「うまい」という主張を認めた相手が想定されていて、相手の主張をとりあえずは認めるけれど、対立することも言えるという主張になる。これは、自分が相手と違う側面を問題にしているのだと言うことを語るときの論理展開になるだろう。

「たしかに」と「もちろん」の違いは、野矢さんは、「たしかに」は相手を立てて、「もちろん」は常識を踏まえての判断だと語っていた。だから、上記の「うまい」という判断では、これは「たしかに」の方がふさわしい言葉になるだろう。その店が評判の有名な店だったら「もちろん」という判断になるかも知れないが。「もちろん」にふさわしい論理展開は、次のようなものだろう。

 例7 「もちろん次は特急の停車駅ではない、しかし急病人がいる場合は停車するのもやむをえないだろう。」

特急列車は、停車駅が限られているという規則は周知のもので常識的なものだ。だから、それを「もちろん」という言葉で肯定するが、急病人が出たと言うときは「例外的に」対立したことが主張されて逆接となるだろう。

対比において重要なのは野矢さんが語るように、「対比の接続関係にある二つのものは必ず共通点と相違点を持つ」と言うことだろう。そこで、この論理構造を理解するには、野矢さんが提出する対比図というものを使うと分かりやすいだろうと言うことだ。

共通点を「対比の主題」として取り出し、相違点を「対比のポイント」として取り出すことによって、その逆接の論理構造を明確にしようと言うことだ。これは、問題をこなしていくことによって、その技術を具体的に見ていきたいと思う。

逆接の論理構造は、議論における異論のつながりを理解する上では非常に重要なものになると思われる。まったく違う主張が展開される「転換」という論理構造を持っているのかどうか。もしそうであれば、対立した主張は真っ向から対立していることになり、それぞれが両立しがたいものになるだろう。この場合の結論は、どちらかが否定されて真理が明らかになるか、どちらも真理とも間違いとも言えない、判断が出来ないという状況になるかのどちらかになるだろう。

もし、制限という論理展開で議論がなされているときは、大元の合意というものがあって、その合意の中での制限が対立して議論されていることになる。その時は、合意されたものを明確にしておかなければならないだろう。それが明確になっていないと、対立点も明確にならないからだ。

譲歩の論理展開でなされている議論では、相手の主張を一定認める譲歩がなされているわけだから、どのような側面を認めているのかと言うことが明確にならなければならない。そして、どのように違う面で異論を唱えているかと言うことも明確にされなければならない。これが、互いに譲歩出来るものならば、実はそれは対立した議論ではなく、共通の基盤という合意出来る部分を確かめ合う議論になるのである。

対比の展開を見せている議論では、その対比のどちらかが自分の価値判断において高い評価が出来るという場合が多いのではないだろうか。この場合は、価値判断のための対比として、どんな側面がどんな基準で対比されて判断されているかに気をつけなければならない。

いずれにしても逆接の論理展開は、議論というものの中心になるものだろう。これによって議論の主題がハッキリすれば、あとは自分の主張の証明のために、順接の論理を駆使して論証に向かうと言うことになるのだろう。
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by ksyuumei | 2006-03-04 13:22 | 論理


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