非論理的な主張

「民主「メールは事実無根」 自民、謝罪受け入れ」というニュースの中に次のような文章がある。


「民主党が二回目の回答書でメールや資金提供疑惑を全面的に「事実無根」と認めたためで、半月以上におよんだメール問題は決着した。」


この文章の「メールや資金提供疑惑」という言葉の中の「や」という言葉は、形式論理的な選言命題と同じ意味だと考えられる。論理的な言葉で言えば「または」という接続詞だ。だから、上の文章を論理的に理解するとすれば、



  「メールや資金提供疑惑」は「事実無根」(つまり「ない」と言うこと)
     ↓
  「メールや資金提供疑惑」があるということを否定
     ↓
  「メールがある」または「資金提供疑惑がある」ということを否定
     ↓(ド・モルガンの法則により)
  「メールがない」かつ「資金提供疑惑がない」

という帰結になる。民主党は、メールがニセモノである、ということを認めたので「メールがない」という帰結はいいのだが、いつ「資金提供の疑惑がない」と言うことも認めたのだろうか。

メールがニセモノであるということから、「資金提供疑惑がない」と言うことが論理的に帰結出来るとすれば、それは次のような条件の時しかない。すなわち、民主党が持っていた「資金提供疑惑」は、メールだけを根拠にしていたと言うときだけだ。その疑惑の根拠がメールにしかないのなら、メールがニセモノであり存在しないとなったら、疑惑も存在しないと結論しなければいけない。

武部氏の二男に対する資金提供(これは回り回って武部氏・つまり自民党へ流れていくと思うのだが)の疑惑は、他には何も根拠がないものだったのだろうか。もしそうであるなら、民主党は、他の根拠が何もなく、このメールだけで疑惑を持ったのだとハッキリ言わなければならないと思うのだが、どこかでそう語っているのだろうか。

もしそうであるなら、民主党という政党が、絶望的に下手な戦術しか持っていない政党であるという印象を持つだけなのだが、ごまかし続けるなら、論理的に思考出来る人間が一人もいないのかと、これも絶望的に思うだけだ。東大を出て高級官僚になったり、松下政経塾出身というエリート出身が多くても、この程度の論理能力しかないのかと絶望的になるだけだ。

メールが本物であるか偽物であるかという判断は、個別的な判断で、あるポイントさえ押さえれば出来ないことではない。しかし、「資金提供疑惑がない」という判断は、単純に何かの事実を個別に確認すれば済むというものではない。「ある」という判断ならば、個別の事実を確認することで判断出来る。振り込みとしてはなかったかも知れないが、どこかにあるはずの金が消えていて、そこにないはずの金が消費されていたら、「ある」という判断は出来るだろう。

しかし「ない」ことの判断は、「ある」可能性をすべて潰していかなければ判断出来るものではない。「ある」可能性が、メールの存在だけに関わっているのなら、メールの存在という可能性を潰せば、その判断は出来るのだが、そこだけにしか疑惑がないということを信じるほど素朴な人は少ないのではないか。

このメール事件騒動で、もし世論の大部分が、「資金提供疑惑がない」と言うことを信じるようなら、メール事件騒動のおかげで、この難しい証明が出来たと言うことで、自民党にとっては大変ありがたい結果になったということが言える。メール騒動がなければ、このことの証明は難しかったに違いない。民主党は、自民党に対して本当に大きな援助をしてやった、と結果的にはそういうことになるだろう。
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by ksyuumei | 2006-03-04 11:02 | 政治


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