内田さんの「2006年02月23日 不快という貨幣」がいろいろなところで評判になっているという。批判もかなりあるようだ。内田さんは、一般に流通している観念に対してアンチテーゼとなるような主張をするので、その反対性から反発されることが多い。つまり、結果としての主張を見て、結果が自分の思いと違うというところから来る反感からの反発だ。
しかし、それがどれほど自分の思いに反していようとも、論理的に真っ当な結論であれば、それは受け入れざるを得ないというのが、論理にこだわってきた人間の思いでもある。内田さんに対する反発が、誤読という誤解に基づくものなのか、論理的に反対されても仕方がないものなのか、どちらであるかを考えてみたいと思う。 野矢茂樹さんから学んだ論理トレーニングの応用としても、ちょうどいい対象ではないかとも思うので、いろいろと論議を呼んでいるこのエントリーを、論理的に正しく理解するということを、論理トレーニングの観点から考えてみたいと思う。そして、その結果から、内田さんの主張の真意を受け取ってみようと思う。 このエントリーは、 「なぜ若者たちは学びから、労働から逃走するのか」 という問題に対する内田さんの解答が主張の中心になると思われる。その主張を、僕が受け取ったところでまとめると、 「若者たちは、彼らが定義する意味での学びや労働はたくさんしているのであって、我々(内田さんと同じ感覚を持つもの)が定義する意味での学びや労働をしているのではない。」 ↓すなわち 「学びや労働から逃走しているのではないから、そのことに「なぜ」を問うても意味がない。「なぜ」を問う対象は、学びや労働の意味が変わったことに対して「なぜ」と問いかけなければならない。」 というふうに僕は内田さんの主張を理解した。内田さんは、問題が間違っているのだという主張をしているのであって、問題の解答をしたのではないと僕は思う。だから、内田さんの主張を問題の解答だと思って、学びや労働から逃走する理由を論証しているのだと受け取ると誤読になるだろう。 若者たちが逃走をしていないことの論証は、彼らが「学ばない」「働かない」ことの方をこそ高い価値があると見ていることから導いている。逃走であれば、本来はそれをやらなければならない、やることが望ましいのに、出来ない・能力が無いというふうに評価しているのでなければならない。しかし、若者たちは、やらないことの方がむしろいいと思っているのであれば、それは何ら逃走にはなっていないのである。これは、内田さんの次の文章から読みとることが出来る。 「苅谷剛彦さんが『階層化日本と教育危機』で指摘していたことのうちでいちばん重要なのは、「学業を放棄することに達成感を抱き、学力の低下に自己有能感を覚える」傾向が90年代にはいって顕著になったことである。」 「グローバリゼーションと市場原理の瀰漫、あらゆる人間的行動を経済合理性で説明する風潮を考慮すると、「学ばないこと」が有能感をもたらすという事実は、「学ばないことは『よいこと』である」という確信が、無意識的であるにせよ、子どもたちのうちにひろく根づいていることを意味している。 「学ばない」というあり方を既存の知的価値観に対する異議申し立てと見れば、それを「対抗文化」的なふるまいとして解釈することはできない相談ではない。 彼らはそうやって学校教育からドロップアウトした後、今度は「働かない」ことにある種の達成感や有能感を感じる青年になる。」 このことの意味がよく分かれば、問題の解答もよく分かる。しかし、このことはそれまでの常識に反することだから、常識的な感覚が抜けない人は、若者たちがどうしてこのような感覚を持つのかが理解出来ないだろう。単に間違った価値判断をしているようにしか見えないはずだ。ここに、間違いではない、詭弁ではないロジック(論理)を見ることが出来るだろうか。 後半の内田さんの文章は、この困難なロジックの構築を努力したものだ。これは困難なロジックであるから、この部分に「変だ」ということを感じる人が多くなるのではないかと思われる。重要なのは、 「彼らが考えている「労働」はおそらく私たちの考えている「労働」とは別のものなのだ。」 と言う内田さんの主張を受け入れられるかどうかにある。これが受け入れられれば、自分とは違う感覚の持ち主として、その感覚の基であれば、自分と違う価値観の判断をしても仕方がないと了解出来るだろう。その価値観は、単に違うだけなのか(両立しうるのか)、間違っているのか(両立しないのか)という判断が次に重要なものになる。 「働かないことが労働」という言葉で、内田さんはこの逆説を論理づけようとしている。この新しい労働の概念が、論理的に正当性を持つならば、若者たちの「労働」概念も、間違っているとは言えず、ある条件の下では成立するものとなる。内田さんは、この概念が正当性を持ってきたのは、 「私の仮説は「働かないことを労働にカウントする」習慣が気づかないうちに社会的な合意を獲得したというものである。」 と言う社会のあり方に求めている。これは論理的に正当だろうか。内田さんは「労働価値」というもの、すなわち労働をすることによって得られる利益というものを考えることで、「働かないことが労働」という逆説が考えられると説明をしている。 普通は、労働をして価値が高いものを作り出すことが出来るので、その利益の大きさが「労働価値」として理解されていく。しかし、子供たちが出会う最初の労働は、「不快に耐える」という形で現れてくる。現代における労働は、マイナスの価値を持ったものとして現出するのだ。それは特に家庭において普通に現れる現象になると内田さんは主張する。 「現代日本の典型的な核家族では、父親が労働で家計を支えているが、彼が家計の主要な負担者であることは、彼が夜ごと家に戻ってきたときに全身で表現する「疲労感」によって記号的に表象される。 ものをいうのもつらげに不機嫌に押し黙り、家族のことばに耳を傾ける気もなく、自分ひとりの快不快だけを気づかっている人間のあり方、それが彼が「労働し、家族を扶養している」事実の歴然とした記号なのである。」 「育児から手が離れた主婦が家庭内において記号的に示しうる最大の貢献は「他の家族の存在に耐えている」という事実である。 現代日本の妻たちがが夫に対して示しうる最大のつとめは「夫の存在それ自体に現に耐えている」ことである。 彼の口臭や体臭に耐え、その食事や衣服の世話をし、その不満や屈託を受け容れ、要請があればセックスの相手をする。 これは彼女にとってすべて「苦役」にカウントされる。 この苦役の代償として、妻たちは夫婦の財産形成の50%について権利を主張できる。 現代日本の家庭では「苦痛」が換金性の商品として流通しているのである。」 「子どもたちも事情は同じである。 彼らは何も生産できない。 生産したくても能力がない。 親たちの一方的な保護と扶養の対象であるしかない。 その「債務感」のせいで、私たちは子どものころに何とかして母親の家事労働を軽減しようとした。 洗濯のときにポンプで水を汲み、庭を掃除し、道路に打ち水をし、父の靴を磨き、食事の片づけを手伝った。 それは一方的に扶養されていることの「負い目」がそうさせたのである。 だが、いまの子どもたちには生産主体として家庭に貢献できるような仕事がそもそもない。 彼らに要求されるのは、「そんな暇があったら勉強しろ」とか「塾に行け」とか「ピアノの練習をしろ」という類のことだけである。 これらはすべて子どもに「苦痛」を要求している。」 内田さんがここで語っている家庭内での労働は、内田さんの解釈であるから、これに賛成する人と反対する人がいるだろう。しかし、これに賛成する人は、「働かないことが労働」という逆説を論理的に受け入れるに違いない。 家庭内での労働はマイナスの利益しか生まない。働けば働くほど負債が大きくなる。むしろ働かない方がマイナスを押さえることが出来る。いままでの意味で働くことが、負債というマイナスを増やすだけなら、働かない方がむしろ現代の労働であるという概念が生まれる。 僕は、内田さんの現代日本社会の家庭に対する解釈にほぼ賛成する。だから、「働かないことが労働」だという新しい概念にも論理的な意味で賛成だ。もちろん、例外的な家庭も存在するだろうが、大部分は内田さんが描写するような家庭の姿を持っているだろうと思う。 だから、新しい労働概念を持っている若者に対して、「なぜ働かないのか」を問うても、それは無駄なことであるという内田さんの主張に賛成だ。問うのなら他のことを問わなければならない。「なぜ労働の概念が変わってしまったのか」と。 内田さんによれば、このような家庭と子供たちは、今後も再生産されるように考えられている。それはシステムとして捉えられているからだ。変わってしまった労働の概念をもう一度変えるためには、このシステムを変える努力をしなければならないだろう。そのための方法は内田さんは語っていない。これはとても難しい問題だからだろう。簡単には方法がないと思う。 少なくとも、従来の労働概念を若者たちに押しつけて、労働しない若者たちの問題を解決しようとしても無理だろう。もっと根源的なところから問題を考えるべきだ、という主張が、内田さんの主張には含まれているのだと僕は思う。その点に関しては、僕は全面的に賛成を表明する。
by ksyuumei
| 2006-02-26 14:37
| 論理
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