論理トレーニング2 順接の論理;練習問題1

野矢さんが提出する練習問題の考察をメモしておこうと思う。まずは、順接の論理に関する練習問題だ。( )に接続詞を入れるのと、それぞれの番号がついた文章の間に成立する順接の論理構造を分析する問題だ。


(1)理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。
  (接続詞)、
(2)前者は「親子」関係であり、後者は「兄弟姉妹」関係である。
   また、
(3)上役・部下の関係に対する同僚関係も同様である。




まずそれぞれの文章で主張されている事柄を考える。

(1)一般論としての人間関係の指摘
(2)具体的な人間関係の提示
(3)具体的な人間関係の提示

(1)で述べた一般論を、(2)と(3)では具体的なものとして説明している。

(2)「タテ」……「親子関係」、「ヨコ」……「兄弟姉妹関係」
(3)「タテ」……「上役・部下関係」、「ヨコ」……「同僚関係」

従って、これは順接の論理構造としては「例示」というものだと考えられる。

 (1)-例(2)、(3)

従って、接続詞としては「例えば」というようなものを入れると良い。



(1)赤ちゃんは人間社会の中へ生まれ出てくる。
  (接続詞)
(2)人々との関わり合いを通してその社会の文化をわがものとしてゆく。
  (接続詞)
(3)「外」の世界を自分の「うち」なる世界たらしめてゆくのは、人間関係を通してなのである。


それぞれの文章の主張は次の通り。

(1)誕生の一側面の事実を語る。
(2)誕生して以後の事実を語る。
(3)「外」と「うち」の関係を一般論として語っている。

(1)と(2)は、それぞれ「事実」という点で共通点を持っているが、それは別の側面を語っている。従って、「事実」を付加したものと考えられる。付加の接続詞としては「そして」などを入れればよい。

  (1)+(2):接続詞=そして

(3)の文章と他の文章との関係は少し難しい。二つの解釈が出来るからだ。野矢さんの解答を見ると、(1)は外の世界を語り、(2)がうちの世界を語っているものとして捉え、この二つを統一してまとめて語ったもの、つまり(3)は(1)と(2)の解説として捉えている。そう受け取ると、解答は、

  (1)~(2)=(3):接続詞=すなわち

と言うことになる。しかし、人間は、人間関係がなければ人間にはならないという判断があった場合は、人間関係の網の目、つまり人間社会こそが人間を人間たらしめるという論証があることになる。人間は、人間と関係なく、ただ人間から生まれたというだけでは人間にはならないという主張は、単なる事実の指摘ではなく論証されなければならないことだろう。

そこで、(3)は(1)と(2)から論証されると考えることも出来る。しかし、本来はこの論証は、もっと細かい過程をつなぐことを必要とする。これは、ちょうど数学の証明において、それまでに証明された定理を、もう一度証明することなく事実のように扱って証明するような感じになる。

ちゃんとした形の証明でなければ論証とは呼ばないことにすれば、上の練習問題は、論証としては弱い形になるだろう。しかし、そこに論理の流れを見ることが出来る人は、これを、現象的な事実を指摘した文章とは見ずに、上の文章から下の文章が論証の形で導かれていると見るかも知れない。

ある文章を論証と見るのか、現象の事実を語ったものと見るのかは、その読み手の条件によって変わってくるのではないかと思われる。

耐震強度偽装問題において、嘘の数字があったと言うことは、素人にとっては単なる事実に過ぎないだろうが、専門家である多田さんにとっては、耐震強度基準を行政が決めるというシステムの破綻の証明として見えているかも知れない。それは単なる事実ではなく論証として受け取れるかも知れない。

板倉さんが提起する仮説・実験の論理においても、仮説を持たない人にとっては単なる事実に過ぎないことが、仮説を持っている人にとっては実験としての意味を持ち、論証がそこにあるという受け取り方になる。

海王星の発見は、理論による計算によって、そこに未知の惑星が存在していなければならないという仮説を持って観測されたという。だから、その発見は、それを導いた理論の正しさを証明するものとなった。ただ単に、そこに未知の惑星が存在したという事実を確認しただけではなかったのだ。

文章の表現の場合には、表現者の意図として論証の意図があったり、読み手の知識と能力でそこに論証を読みとったりすることがあるのではないかと思う。常に解釈が一つとは限らないのが、日常言語を用いた表現ではないだろうか。



(1)日本人は説明を好まない。
  (接続詞)
(2)非論理的であると言われてしまう。

ここでの主張は、

(1)日本人に関する一つの事実の指摘。
(2)日本人に関する一つの属性の指摘。

ここでは、事実と属性という二つの異なるものが語られている。これが、内的な連関をあまり持たないものであれば、別のことを付け加えたという付加として受け取られるだろう。例えば、

(1)日本人は説明を好まない。
  (そして)
(3)風呂を好む清潔好きと思われている。

これは、内的な連関がないので、単なる付加として「そして」でつなぐことが出来る。だが、(1)と(2)には内的な連関があるように僕は感じる。次のようなつながりがあるのを僕は感じるのだ。

(1)日本人は説明を好まない。
    ↓
   理由を聞かない
    ↓
   理由を気にしない
    ↓
   因果関係に関心を持たない
    ↓
   論理的なつながりを考えない
    ↓
   非論理的である

このつながりがあることを了解するなら、これは(1)から(2)が論証されているのだと受け取ることが出来る。ここの接続詞は、僕なら「だから」を選びたい。解答は、

  (1)→(2):接続詞=だから

なおこの問題で、「説明を好まない」ということは、「非論理的」ということと同じことではないから、これが(1)=(2)という解説でないことはすぐ分かる。また、「非論理的」というのは、具体例を提示しているのではないから、例示(1)-例(2)ではないこともすぐ分かる。

この論理構造は、付加(1)+(2)という可能性は残しているが、これは内的な連関性で論証可能であると言うことに気づくと、単なる付加よりも論証の方がふさわしいと判断出来る。これを単なる付加と考えると、日本人の特徴として、「説明を好まない」ということと「非論理的」ということの二つが、同等の重さで存在しているという受け取り方になるだろう。

しかし、この二つの特徴は、「説明を好まない」ということから「非論理的だ」という受け取られ方が出てくるという、「説明を好まない」という特徴の方がより基本的だという判断があるように僕は思う。これが、次のような文章だったりすると、受け取り方が違ってくる。

(1)日本人は説明を好まない。
  (だから)
(4)すぐに感情的になるのである。

という文章は、一見何かを論証しているように感じてしまうが、実は(1)と(4)は、何ら論証の関係にはないのである。これは、論理構造としては、

(1)日本人は説明を好まない。
  (そして)
(4)すぐに感情的になるのである。

というふうに、「だから」ではなく「そして」を使う付加の関係として捉えた方がいいだろう。

単なる付加を論証のように装うというのは、詭弁の論理として使えそうな感じがする。単に二つの事実を指摘しているだけなのに、その事実の間に論証関係が成立するかのように装っている文章は、なかなかからくりを見抜くのが難しいかも知れない。これは変だと感じるような文章を見つけたら、その論理構造が狂っていないかを考えてみるのは面白いかも知れない。
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by ksyuumei | 2006-02-25 14:21 | 論理


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