ライブドア問題再考 5

さて、山根さんのライブドアと堀江氏の考察は、まだまだ細かい点に言及が及ぶのだが、とりあえずは、ライブドアと堀江氏の持っていた違法性や犯罪性というのは、確かにあっただろうということは確認出来たと思う。これからの捜査によってそれがおそらく明らかにされてくるのだと思うが、それを前提とした上で、もっと大事なことを考えていかなければならないと思う。

マル激の司会者の神保氏は、ライブドアは確かにグレーゾーンにいたということは以前から言われていたと語っていた。しかし、今ほどハッキリと違法性が指摘されてはいなかった。だから、以前にグレーだという判断(ちょっといかがわしいかも知れないがという判断)の元に、堀江氏の「壊し屋」としての面を評価したことが、今でも同じように評価出来るかという問題を考えなければならないと思う。

この評価という解釈で考えられるものに、僕には二つのものが浮かんできた。一つは、結果的にたまたま改革の方向が生まれてきたと解釈するもので、堀江氏にその意図はなかったが、堀江氏がのし上がろうとするには、古い勢力の排除がどうしても必要だったので、結果的に古い勢力の排除になるような動きが生まれて、そのために改革への貢献が出来たと見る解釈だ。



この解釈はかなり当たっているようにも感じる。堀江氏の目的はあくまでも金儲けの方であって、改革の方では無いという感じは以前も感じていた。ニッポン放送の支配権を巡るフジテレビとの争いの時に、マル激の司会者の神保氏は、これが結果的に記者クラブの弊害を打ち破ることを期待していたが、直接堀江氏と話した限りでは、堀江氏には記者クラブの問題はまったく頭の中になかったそうだ。

神保氏によれば、記者クラブでの会見などは、記者クラブに入っているニッポン放送だったらすべて取材することが出来、その映像を手に入れることが出来ると言う。そうすれば、その映像をインターネットで配信することによって、記者クラブで取材を独占している既得権益の勢力に対して、記者クラブ独占の利益を消し去ることが出来るだろうと言うことだ。情報を外に出さないことで、その独占の権益を守ることが出来ていた記者クラブが、まったく開放されてしまうことによって、隠蔽された利益が無くなり、記者クラブそのものの存在の意味が無くなってしまうことが、既得権益の破壊になり改革の方向だと、神保氏は考えていたようだ。

しかし、堀江氏にはこのような考えは全くなく、記者クラブを握ったくらいでは、つぎ込んだ1000億円が回収出来ない、という計算の方が働いただけだったようだ。つまり、堀江氏には、記者クラブの改革というようなパブリックマインド(公共心)はなく、目的はあくまでも金儲けだったということだ。このことの是非は今は問わないが、何か改革に貢献したとしても、それは結果的にそうなる方向への手伝いになっただけで、それを目指したわけではないと言うことは言えそうだと思う。

宮台氏と神保氏は、共に堀江氏の「壊し屋」としての面を高く評価していたが、これは、やはり結果的に改革の助けになるような壊し方をしていると評価したのではないかと思う。既得権益を壊さずには、新興勢力であるライブドアや堀江氏は、決してのし上がることは出来ないだろうと言うことから、のし上がるためには既得権益を壊すような方向に必然的に動いていくだろうと言うことを評価したのではないかと思う。

この評価は、今ライブドアの違法性・犯罪性が明らかになってきているという現実を考えると、改革の方向の逆風になるような面も生まれてしまったと言えるかも知れないことから、ちょっと考え直さなければならないかも知れない。違法性・犯罪性は防がなければならないが、それを防ぐために、再び古い勢力が既得権益を守る方向に行くようであれば、堀江氏の「壊し屋」としての働きは中途半端なものだったと、その評価を修正しなければならないだろう。果たしてどうなるだろうか。

堀江氏の場合は、目的は金儲けというもので、改革というものではなかったが、たまたま結果的に古い勢力を壊す方向が一致していたので、改革者として見られるようにもなっていた。プロ野球の近鉄を買収しようとしていたときも、あれが失敗に終わったので結果がどうなったかが分からないが、本当の意味でのプロ野球改革という方向ではなかったのではないかと今は感じる。市民の娯楽のためのプロ野球と言うよりも、金儲けのための宣伝媒体としてのプロ野球になってしまったのではないかとも感じる。そこに参入するために、古い勢力との戦いがあったので、見かけは改革者に見えたが、本来の意味での改革者にはなり得なかったのではないかと僕は思う。

「壊し屋」のもう一つの解釈の方は、残念ながら堀江氏には当たっていないだろうと思うが次のような解釈も僕の頭には浮かんできた。それは、目的はあくまでも改革の方であって、その改革のために、古い勢力との戦いに勝たなければならないのだが、そこにある意味では許されない手段を使ってしまうという解釈だ。

新興勢力は、やはり力では古い勢力よりも弱いところがあるものだ。まともなやり方で正面からぶつかっても勝てる可能性は低い。そうすれば、戦術としては相手の裏をかく、まともでない方法を使って、違法性・犯罪性のギリギリのところで勝負するという戦術もあるのではないかと思う。問題は、これが改革という志の高い目的の元であれば、多少の手段のいかがわしさが免罪されるかと言うことだ。

ジャック・ニコルソンが主演した映画に「ホッファ」というものがある。これは、運送業に関わる人々の労働組合の指導者だったジミー・ホッファという人物を描いた映画だった。ジャック・ニコルソンという個性的な俳優が演じるように、実在のホッファも非常に個性的な人間だったようだ。

労働組合の力というのは、数の力であり、組合員が指導者の下に一枚岩のように行動するところに力の源泉がある。しかし、多数の人間の気持ちというのは常に揺れ動くものであるから、よほどのカリスマ的な資質を持った人間がいても、一枚岩を保つのはかなり難しい。

ホッファは、数々の要求を勝ち取るという、勝負における勝利によってカリスマ的な支持を得た人間だが、連戦連勝の実績を上げるために禁断の手を使ってしまう。マフィアの力を借りるという手で、違法性・犯罪性に手を出してしまうのだ。

しかし、映画に描かれている限りのホッファは、私利私欲でこれらの力を利用して私腹を肥やしたという事実は一切無いようだ。ホッファにとっては、指導者の地位にいるという権力欲は誰よりも強いものを持っていたようだが、それは、自分の力で人々の利益をもたらしたという、その支持こそが自分の報酬だというような感覚でいたようだ。

ホッファが、もしもマフィアの力を借りなければ、労働組合は正々堂々と要求を貫徹しただろう。犯罪性によってそれには陰りが出てしまったが、ホッファがマフィアの力を借りなかったらどうなっただろうか。おそらく、連戦連勝とは行かず、強大な力を持った資本家の反撃で、労働組合の力は弱くなっていったことだろうと思う。そういうことを考えると、ホッファの行動をどう評価するかと言うことはとても難しいことだと思う。

堀江氏がホッファのような目的意識で行動していたとは思えないので、堀江氏にはこのような評価の難しさはないだろうが、堀江氏も、金儲けという目的ではなく、パブリックマインドに基づく大きな目標があれば、違法性・犯罪性のある戦術というものに対する心構えが違っていたのではないかと思う。堀江氏に続く、金儲けのうまい若い世代は、この失敗から、ぜひとももっと大きな目的のために金儲けを手段として考えるという面も考えて欲しいものだと思う。

堀江氏が、結果的に示した改革の方向は正しいものだったと受け止める人が多いことを期待したい。この事件によって改革の方向が遅れてしまったら、日本はますます閉塞感の強い国になってしまうだろう。ライブドアの違法性・犯罪性とは別に、その活動が結果的に示していた改革の方向をもう一度考えたいものだと思う。

また、マル激では神保・宮台両氏とも、ライブドアや堀江氏を一方的に断罪するマスコミの報道に警鐘を鳴らしてもいた。その扇情的な報道は、この事件を冷静に受け止めることを邪魔してしまう。これも、ライブドアや堀江氏の違法性・犯罪性とは別の問題として考察しなければならないだろう。違法性・犯罪性があったとしても、この報道の仕方は近代国家としてはふさわしくないと、市民である我々が、マスコミ批判の気持ちを持たなければならないだろう。

このマスコミ報道が、まさに、ライブドアや堀江氏が壊そうとした古い勢力の力なのではないかと思う。これに乗せられることなく、古い勢力にきっぱりと決別するためにも、我々はマスコミの報道を拒否することが必要だろう。テレビや新聞を全面的に拒否する人間が一人でも多くなることを望んでいる。

堀江氏を叩いているテレビが、自分では単に金儲けのための報道しかしていないことは冷静にその報道を眺めれば分かるだろうと思う。彼らに堀江氏を批判する資格などはないと思う。同じように、彼らにも金儲けしか眼中にないのであるから。しかも、その金儲けは、宣伝というコマーシャルを独占しているという不当な事柄から生まれるものなのだ。ライブドアがやったこととどこが違うのか、という感じがする。

彼らの金儲けの源泉である宣伝の持つ効果は、多くの人がマスコミを拒否することで消えて無くなってしまう。そういう日がやってくることで、日本社会はようやく本当の民主主義国家になるのだろうと思う。
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by ksyuumei | 2006-02-05 17:54 | 社会


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