「アキレスと亀」のパラドックスに関連して、「運動」というものについて一度深く考えてみなければならないのではないかと感じている。特に、「運動」そのものを論理は記述出来るかということを考えてみたいと思った。
そこで「運動」とその表現の「論理」を語った板倉さんの文章を探したのだが、『新哲学入門』(仮説社)の第16章「「運動は矛盾である」とはどういうことか」(146ページ)の中にそれを見つけた。これを読むと、さすがに板倉さんという感じがする。僕が言いたかったことが見事に語られていた。少し長いが引用しよう。 「 そういえば、弁証法や矛盾論を扱った本の中には、「運動は一つの矛盾である」と書いてあるものがありますが、これはどういうことでしょうか。 実は、この「矛盾」の問題は、高等学校や大学の数学の時間に微分や積分を教わるときに出てきます。例えば、速度というのは、距離を時間で割ったものですから、瞬間速度vを出すときには、微少な時間Δtの間の位置の変化ΔxをΔtで割ればいいことになります。ところが、そのΔtというのは「限りなく0に近い量だが、しかも0ではない時間」として説明されます。「限りなく0に近く、しかも0でない」というのは、「0であって0でない」というようなものですから、一つの<矛盾>と言うより他ありません。 それでは、微積分学ではどうしてそんなに非常識なことを言うのでしょうか。――それは、数学を始めとする論理というものは、元々、「すべてのものを<変化しないもの、静止しているもの>としてとらえることに特色があるからだ」と私は考えています。「そういう数学の論理でもって運動を表現しようとすると、<ある瞬間にここにあってここにない>などという表現も採用しなければならず、<このΔtというのは限りなく0に近くしかも0ではない時間だ>などという不自然な表現を使わざるを得なくなる」というわけです。そのかわり、微積分学でも、最初そういう論理を導入してしまえば、後はごく普通の論理だけで展開し、矛盾した表現を使わないですむようになっています。 もちろん、運動しているものだって、静止の論理でとらえるのではなく、運動しているものを「運動している」と言ってしまえば、何も矛盾した表現をする必要なないのです。「ものが運動している」からといって、それが何か矛盾していて、「あり得ないことが起きている」などと言うことはないわけです。」 0であって0でない、ということの説明などは見事だと思う。ここでの重要な指摘は、「数学を始めとする論理というものは、元々、「すべてのものを<変化しないもの、静止しているもの>としてとらえることに特色があるからだ」」ということだ。 「限りなく近づく」というのは、運動そのものの表現と考えられる。これを論理的に表現しようとすると、「0であって0でない」という矛盾した表現にならざるを得ないという指摘がここにあるのを僕は感じる。運動そのものは論理では表現出来ないのではないかと感じる。だから、運動そのものを表現しようとすると、ゼノンに限らずパラドックスが顔を見せるのではないだろうか。 板倉さんは、「運動しているものだって、静止の論理でとらえるのではなく、運動しているものを「運動している」と言ってしまえば、何も矛盾した表現をする必要なないのです」とも語っている。つまり、形式論理に矛盾が出たからと言って、それによって存在を否定する必要はないと言っているのだ。否定すべきは論理の表現の方で、運動そのものを表現することをあきらめてしまえばいいのだ。 論理が「静止」の表現であるならば、それは「運動」とは正反対のものになる。この対立は、両立はするけれど別のもの、と言うのではなく、両立しない排反的な対立だ。だから、この対立を一緒に持つような表現をすれば、そこから矛盾が帰結されるのは、そのこと自体はごく当然なことで、少しもパラドックスではない。それが、現実の忠実な表現だと考えることがパラドックスを生むと考えられる。 数学の場合「限りなく近づく」という「運動」そのものの表現を、<イプシロン-デルタの論理>によって静止で捉えることで矛盾を回避している。そのポイントはイプシロンの「任意性」にあると僕は考えている。イプシロンは、正の実数を表すのだが、これはある実数として確定すればその数に固定されて、静止した状態として記述される。このイプシロンが「動く」ことはない。しかし、これの選び方には「任意性」があるので、どの実数を選んでもいいと言うことになっている。 イプシロンの選び方に「任意性」があると、どうして「限りなく近づく」という運動表現になるのか。それは<否定の否定>としての表現になっていると僕は思う。つまり、次のような思考の流れだと僕は捉えているのだ。 <限りなく近づく>→<限りなく近づくのではない、と言うことではない> →<近づいていない、と言うことではない> →<ある限界から先には近づいていない、と言うことではない> →<すべての限界を立てても、そこより先に近づいている> →<すべての限界を立てても、その限界の先に点が存在する> 「近づいている」という現象の直接の表現は、「運動」として考えられるが、その否定「近づいていない」というのは、「運動」の否定であるから「静止」として捉えることが出来る。つまり「近づいていない」という表現を論理で語れば、そこには矛盾が現れない。だから、「近づいていない」という表現を論理でいったん表現してから、それを否定すると言うことで、「近づいていない、のではない」すなわち「近づいている」という表現にしようという工夫だ。 これは「運動」そのものではなく、間接的に「運動」を表現することになっている。静止として表現された「近づいていない」を否定するのは、ある命題の否定は論理の中で正当に認められる操作として、論理の矛盾を生まないので、この表現は論理の中での正当性も獲得出来る。この工夫が<イプシロンーデルタの論理>だろうと思う。 「ある限界が存在する」という設定から、その否定として「任意性」が現れる。これこそが、「限りなく近づく」と言うことを論理で表現することのポイントだと僕は思う。 数学では、このようにして<二重否定>を利用して「限りなく近づく」という「運動」を表現しているように僕は思う。それでは、「運動」を直接扱う物理学などでは、この矛盾をどう処理しているのだろうか。物理学でも論理を使って法則の正しさを証明しているはずだ。もし、「運動」の表現の中に矛盾が入り込んでしまったら、論理的に証明された法則の信頼性が薄れてしまう。数学で解決されているのは、「限りなく近づく」という「運動」だけだ。「運動」一般を取り扱う物理学はどのような工夫で、表現の中に矛盾が現れないようにしているのだろうか。どのようにして「運動」を「静止」として捉えているのだろうか。 この工夫は、僕は、物理学では「運動」そのものは表現していないからではないかと思っている。表現しなければ、そこには矛盾が現れない。物理学、特に力学などでは、運動の過程ではなく、運動の結果を記述することで、運動そのものを表現が現れないようにしているのではないかと思う。過程の方は、人間の想像の中に現れるようにして、表現には現れないようにしているのだと思う。 物理学における「運動」は、位置の変化によって記述される。位置の情報というのは、「そこにある」という静止した状態で記述しなければ記述出来ない。位置情報の記述によって、運動を「静止」で捉えると言うことをしているのだと思う。 ある時間t1にa1という位置にいた物質が、t2という時間にはa2という位置にいたと記述したとしよう。その時に、この物質は、(t2-t1)という時間内に、(a2-a1)だけ移動したと考える。これは、考えるという頭の中の出来事を記述してはいるが、語られているのは、それぞれの位置だけで、どう動いているか、その過程はまったく記述されていない。 物理学においては、過程は知らなくてもいいことになる。結果としての対応関係、 f(t1)=a1 f(t2)=a2 から、一般的にf(t)=xというような関数が求まって、どの時間の時に、結果的にどの位置にいるかが分かれば、その過程が表現されていなくてもいいということで、「運動」そのものの表現をしないように工夫しているのではないか。 このとき、物理学が、「運動」そのものを表現しようとすると、果たしてどのようなことが起こるだろうか。板倉さんは、そのことについても実に興味深い例を語ってくれている。しかし、それも長い引用になるので、エントリーを改めて考えることにしよう。 まずは、ここでは、「運動」そのものの表現は、「静止」の表現である論理で記述しようとすれば、必ず矛盾が生ずると言うことを確認しておくことでまとめようと思う。
by ksyuumei
| 2006-01-26 09:37
| 論理
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